2007年3月アーカイブ
汐留の日本テレビ社屋は、高層階に上がると広い空が手に取るよう。先日そこで撮影したのがこの一枚です。
よーく目を凝らしてください。ビルの上に白い点。飛行船です。近年は広告媒体として利用されています。東京の空でも年に何回かふわっと漂う姿が見受けられますね。滅多に見かけない、しかも音がほとんどしないので、思いがけず気付くとわくわくしますよね。きっと多くの方も「おっ、飛行船」と思うでしょう。人混みではなかなか口に出しては言えませんが。…乗りもの好きは孤独です。
私は乗ったことは無いのでなおさら。さきほど「ふわっと漂う」と書きましたが、実際の操縦、どんな感じなんでしょう?例えば「このラインをとって右に曲がりたい」とイメージしたときに、どの程度、イメージ通りの旋回ができるのか。何しろ大きいから風の影響もうけやすい。舵(かじ)も巨体のわりに小さいような…。うむむ。飛行船の操縦士に訊ねてみたい。
それにしても、あらためて写真を見て思うこと。肉眼で見るともっと大きく、ハッキリ見えたハズなんですが…。撮影するとこんなものか、と拍子抜け。…あ、視力2.0でした。私。カメラを凌駕する眼の持ち主なんです。
学校は春休み。になりました東京都心では朝の電車に遠方からと思しき家族連れがよく見受けられます。よく小さなお子さんが声を上げるのは、自分の電車と同じ方向に電車が走るとき。「並走」ですね。東京・大阪など大都市ではよく見かける光景です。地方では複数の線路が並行しているところ自体、なかなか無いですからねえ。
「○×線だ!」「▽□系の電車だ!」と窓にへばりついてひとりごちる子どもたち。まあ自分の子どもの頃はあんな感じだったろうと思うわけです。
それから30年(!)。先日、ほぼ同じスピードで並行して走る電車を眺めていたとき。向こうの電車、ドアのガラスにこちら向きで押しつけられる男性は…あ、私の上司です!思わず「あ、□△さん!」と声を漏らしそうになりました。さらに思わず、手を振りそうに。しかし。たとえ上司が気付いて手を振り返したとしても、周囲の目には「へんなふたり」としか映りません。あぶないあぶない。
新橋駅の前に
こんなバス路線図があります。
一見すると普通の路線図です。
新橋駅を中心に伸びる各路線を
色分けして表示し…。
しかし何かがおかしい。
何か人間の生理に
背いているような感じが
沸き上がってきます。何故だ…。
拡大してみましょう。
もうおわかりですね
この路線図、南北が逆に描かれています。「南が上」になってます。となると当然、東西も逆です。何故だ…
通常の地図の場合、山手線の円を時計の文字盤に見立てると、新橋駅は3時から4時の間あたりに位置します。東京駅は3時ぐらいのところに。しかしこの路線図だと、新橋駅は9時と10時の間、東京駅が9時に…。確かに、この路線図に向き合うとき、私の身体は南に向いていました。右手が西、左手が東。地図の向きと身体の向きが一緒ではあるのですが、「アタマの中の東京地図」とは齟齬をきたしています。ううむ。
年輩の方はご記憶かもしれませんが、かつての「東京都電系統図」つまり都電の路線図は、なぜか「西が上」で描かれたものがありました。これを初めてみたときは驚いたものです。大袈裟に言えば「時空のねじれ」とでも言いましょうか。見慣れた東京の街、地名の位置関係がガラッと変わるような感じも致しました。乗りものと密接にかかわる地理感覚。なかなか繊細であります。
社会部の記者をやっていると、普通の生活よりも目にするコトの多い乗り物があります。いわゆる「緊急車両」です。事件の現場に行けばパトカーや救急車、事故の現場では消防車や救助車など。まぁ見かけるだけで、「乗ったこと」は無いのですが。今のところ。
先日、羽田空港近くの消防署で、こんな消防車を目にしました。
周囲を圧する大きさです。
ちょうど表に出てきたベテランと思しき隊員さんに話しかけてみました。
全長9mを超えるこの大型化学消防車は、やはり空港周辺での事故を想定した配備です。この日は全日空機の胴体着陸事故の翌日。「やっぱり航空機が関係する事故のニュースは、常に気にしている」とのこと。羽田で同じ事態が起きたら…トラブルの具合によってはトラブル機が羽田に着陸することもあります。ハイジャックはなお確率が高まります。地上にあって常に空の心配もしているわけです。その時、を想定して準備をしているのでしょう。
ところでここまで大きい消防車だと、「普段使い」には不向きだそうで。ここ蒲田消防署空港分署は、正面に広がる空港は遮るものがありませんが、署の裏手の住宅街は非常に道が狭いんだそうです。大型の化学消防車はもちろん、普通サイズのポンプ車でも進入不可能な路地が多く、十分な消火活動ができるか心配な面もあるとのこと。
万全の「備え」をいかにそのとき活かすか。のんきに物見遊山に繰り出す乗りものとは対極にある乗りものですね。
電車一両の長さ、どれぐらいあると思います?…ふつうの電車は20メートルちょっとあります。ホームで見ていると目が慣れているせいか、あまり大きいとは思いません。しかし、これを思いがけず路上で見かけると、デカいんです。
草木も眠る丑三つ時…ほどではありませんが、深夜の幹線道路。その巨体は突然に目の前に現れました。
大きなトレーラーに乗ってしずしずと。後ろにも一台、トラックがついています。回転等灯をクルクル回して、後続車に注意を促しながら。
工場と線路がつながっていない路線に搬入するときには、こうして路上を運搬するのです。角を曲がるのも大回り。当たり前ですが十分な下見が必要ですね。ヘタしたら電線を切ったり、軒先を壊したり…。本業に入る前に事故を起こしたらシャレになりませんからね。きっとこの運搬には相当のノウハウが蓄積されているのでしょう。
晴れてレールに載せられれば、あとは「運ぶ」側にあり続ける電車。自分自身が「運搬される」側になるのは、もしかすると廃車されたあとまで無いかも知れません。工場というゆりかごを出たはじめての姿、そう考えると貴重なショットです。自画自賛。
乗りもので見知らぬ町を訪ねる…いいですね。旅のスタイルは人それぞれ。「贅沢な旅行」
「究極の旅行」と言われても千差万別です。ひたすら時間をかけて自分の足で歩き、自炊の宿で疲れをほぐすのをベストとする人も居れば、由緒正しい宿で大名のようなもてなしを受けたいという人も居るはず。
ここに。一冊のパンフレットがあります。
「宇宙旅行」です。おなじみJTBのパンフレットではありますが、その表紙からして趣が違います。カラフルな大きな文字が躍り、「格安感」溢れる数字が並ぶ、一般的なパック旅行のパンフレットとまるで異なる、シンプルなレイアウト。ページをめくればそこに、「月旅行」「軌道飛行」「弾道飛行」などのフレーズが並びます。全体の色調も、「ミッドナイトブルー」って感じで、落ち着いています。
気になるのはその費用。お一人様のお値段は、「月旅行=1億ドル」「軌道飛行=2000万ドル」「弾道飛行=10万2000ドル」…言葉もありません。絶対無理です。ある意味、「究極」です。先に進むと…「無重力体験=3750ドル」やっと現実味が出てきました。でもこのフライトよく見ると、ジェット機の急上昇→急降下での無重力体験です。つまり、宇宙には飛び出していません。「究極」には遠く及ばず…我々の現実はそんなものかと、当たり前のコトにちょっと寂しくなる私でした。
乗りものが好きな子供の多くは、「2階建て」と聞くとさらにわくわくするものです。「2階建てバス」などその典型ですね。街を見下ろす感覚の愉しさ。運転席も無いので最前部に座ればそりゃもう至福のとき、でしょう。…子供だけじゃありません。私もです。あまり大っぴらに言えませんが。
飛行機も同様。ジャンボ(=ボーイング747)初搭乗とおぼしき小さなお子さんを見ていると、2階席への階段を見てはしゃいでいる。あの「ちょい狭」な階段を上がった先の、天井がすぼまった2階席は、なんだか「屋根裏部屋」を想起させるのでしょう。そういえば友達の部屋にあったロフトが羨ましかったなあ…ってなことも思い出します。
アメリカ軍用の大型輸送機のコンペに敗れたボーイングが、民間機にその技術などを生かしたのが「ジャンボ」誕生の経緯。その最初期の機体で乗客を2階席にいざなったのは、らせん階段でした。のちのタイプは真っ直ぐな階段に変更されましたが、らせん階段の機材にたまたま乗ると、やっぱりこっちが粋だなあと感じたもの。私、らせん派です。
時は流れて。エアバスが総2階建て(!)のA380を開発しました。総2階建てですよ。わくわく指数が急上昇。その2階席への階段は、らせん型が採用されたようです。慶祝。分かってるなあと感じ入りました。くりかえし、慶祝。
乗りもののあるところ、「看板」はつきものです。「あっちへ行くと**がある」「このホームは××だ」…基本的には「お客さん本位」の文言が簡潔に記されるものです。基本的には。
しかしこの案内板を見てください。「のりかえ バス・地下鉄」です。これは札幌駅のホーム頭上にあるもの。この案内板を目にしたとき、思わずううむと唸ってしまいました。道内最大のターミナル。そりゃ「バス・地下鉄」の乗り換え駅だということは自明の理だって。ねえ。そんな基本情報を大きく記す…きめ細かいといえばきめ細かい。だけどお客さんが本当にほしい、具体的な情報には届かない。なかなか大胆な味のあるフレーズです。
そしてもう一つ。この看板です。
山形県・蔵王のロープウエー。古式ゆかしい銀色のゴンドラの発着場には、これまたグッとくる簡潔な一言が。「臆測やめよ 確認せよ」。重みがありますよねえ。宙をゆく乗りものですから「臆測」にもとづく「未確認」な運行はありえません。係員を戒める看板。書体も筆字で、これがまたよし。しかしこのフレーズは、結構応用がききます。私たち放送の仕事もそのものズバリ!その意味で、この看板は意外にお客さん向けの警句にもなっている、そんな「複式看板」とも言えましょう。
真っ暗で、周りが見えない地下鉄…その運転の醍醐味はどこにあるのか。推測の域を一歩も出ない考察に入ります。はい、誰もあとに付いてこない思索の道です。そういうブログなんです。
第一の疑問。地下鉄の運転士は暗闇が怖くないのか。1-2キロの道のりに見えるのは信号だけ。私は怖いなあ…。やっぱり明るいほうがいい。早く地下から出たいっ。地上に出ると地下鉄じゃなくなるんですが。
第二の疑問。ゆく先が見えない怖さは無いのか。広い地上を走る場合、カーブの先も見通せます。つまり、トラブルが事前に自分の目で確認出来る可能性もあるわけです。しかし、地下鉄のカーブはすべて「ブラインドカーブ」。曲がった先に何があるか、行ってみないと分からない。カーブの先にホームがある場合も少なくありません。カーブを抜けてびっくり!なんてこともきっとある。私は怖いなあ…。
ふたつの要素からわかること。地下鉄運転士は度胸がある、のでは。チューブのような暗いトンネルを結構なスピードで駆け抜ける。腕一本に多くの乗客の安全がかかっている。これはかなりの精神力が必要なのでは。電車好きの私でも、実車両の運転はきっと無理だろうと推察します。