2007年2月アーカイブ
トンネルの出口。地下を走ってきた電車の地上への出口です。鉄道好きの私ではありますが、今ひとつ分からないコトがあります。それが「地下鉄運転のメンタリティ」。
電車の運転士を目指す者であれば、風光明媚な自然や、ビルの立ち並ぶ都市空間、そんなものを目にしながら、爽やかに風を切って運転したいと思うのが一般的でしょう。車しか運転しない私だって、そう思います。乗客と同様、運転士も流れる景色を楽しみたいハズだと。
問題は地下鉄です。ずっと真っ暗です。当たり前ですが。あれは順調に走っていても、車窓がつまらないと思うのです。いわんやトンネルの中で停止したら…。
麹町の社屋に通っていた頃、私の乗る地下鉄はラッシュアワーによく停止しました。先に先行電車が詰まっているのです。相当ブルー。しかも身体は押し合ってようやく乗り込んだ大混雑の車両の中。すすけたコンクリートの壁がまったく動かない様子を見ていると、息が詰まりそうになります。ううう、胸が苦しい。息継ぎしたい。自転車の様なスピードでようやく次の駅にたどり着き、ドアが開く…。
新鮮な空気がようやく車内に流れ込むと、心底、息継ぎした気持ちになったものです。あの路線は今もそんな混雑が解消されていないハズですが…乗客の皆さまにお見舞い申し上げます。
そんな欲求不満とストレスを乗せて、ラッシュアワーの地下鉄は行くのです。駅ホームのわずかな灯りを目指して。そんな地下鉄の運行を預かる運転士のメンタリティ。謎に迫る(?)考察は、次回にて。
テレビ局に関係しないと全く馴染みのない乗りもの…。そう、中継車です。本日、我らが日本テレビの新中継車が稼働いたしました。「604号車」です。国産メーカーのトラックをベースにした車体は、白をベースにした新しい塗りわけに。このカラーリング・デザインは日テレのブランド戦略に沿ったもの。シンプルで控えめな感じで、私は好きです。
タテヨコのサイズは大型の乗用車とほぼ同じ。意外と小さいのですが、これは報道用に使う中継車にとって大切なことの一つ。無駄に大きいと「停める」のに難儀をするんですね。…いざ出動、現場着。当然他社の車両も集結します。となるといかに適切な停車場所を確保するかが死活的重要事項になるんです。だだっ広い原野や山中ならともかく、街中では停車スペースも限られますからね。まず周辺に迷惑を掛けてはいけない、映像や音声を送るアンテナがビルなどの陰に入っては困る、といって現場から遠すぎては意味がない、などなど厳しい「停車条件」があるんです。いまや「コインパーキングに停められる」というのが、そうした条件のひとつになっています。
ことほど左様に、中継車は最新鋭の機材を満載してなおかつ程よく小さい、という二律背反を満たす、大変な乗りものなんです。当然、搭載している機材も最新の小型化されたもの。ベースとなるトラック以上に、とんでもないコストがかかっています。
…ううむ、これを「乗りもの」というべきかだんだん迷いが出てきました。むしろ、ごく小さいテレビ局に移動装置が付いたもの、という感覚の方が正しいかもしれません。とはいえ、稀に中継車の助手席に乗って出動したりすると、俄然士気が上がるのも事実。つまり中継車は、生放送や報道ならではの「現場の世界」へいざなう乗りもの、とも言えましょう。画面に映ることは滅多にありませんが、今後の604号車の活躍にご期待下さい。
飛行機の勉強のため、ふむふむと「旅客機年鑑」を読み進む…。と、中には正式な形式名のほかに通称のある機材が結構あります。有名なところではロッキードのL-1011という無機的な正式名称の飛行機、通称は「トライスター」ですね。あらら、ロシアの飛行機にも「通称」らしきものが。CLASSIC やらCLOBBERやら。とりわけ目を引いたのはCARELESSというもの。ツポレフのTu-154という機種の通称のようですが、いくらなんでも「ケアレス」はないだろうと。ロシア語の出来る記者にその意味を尋ねても「そんなロシア語はない」。そうか、どれも英語っぽいなと調べると、これらの通称はNATOが旧ソ連の兵器や航空機などに勝手につけたコードネームだったんですね。
確かに敵方が勝手につけた感じです、それぞれに。例えばツポレフTu-134「CRUSTY」は「汚い・みすぼらしい」といった意味。ヤコブレフYak-42「CLOBBER」は「容赦なくぶちのめす」。イリューシンのプロペラ機「COOT」は「けったいな年寄り・間抜けなやつ」という具合。まさに冷戦下の命名。最近はこうしたコードネームの使用が徐々に減っているそうで、最新版の旅客機年鑑をみても、記載されていません。それにしても渾身の力作を「間抜け」呼ばわりされたら誰だって立腹しますよ。ちなみに報道フロアにはCARELESSという名を知らずにTu-154に搭乗した経験のある人が数人いました…。知らぬが仏か?
「BAR」です。おとなの空間です。私の日常生活にはあまり登場しない場です(お酒がそれほど飲めないので)。そんな私が、勇んでバーにでかけました。福澤朗さんとの「絶対行きましょう!」という2年越しの約束を実現するために。仕事のあと向かったのは銀座8丁目のバー「パノラマ」です。ここは「ある方面の趣味」をもつ人々には有名なお店。福澤さんと男ふたり。忍び会うふたり。…「ある方面」を誤解しないでください。「鉄道好き」の聖地のようなお店なのです。
エレベーターを降りるとそこには小さな小さな鉄道模型レイアウト(ジオラマ)が。私の指のサイズと比べてみてください。爪の先と同じようなサイズの車両が、2両連結でぐるぐる回っています。わくわくしますねえ。
そしてL字形のカウンターの上には作り込まれたジオラマが拡がります。賑やかな高架駅、商店街、ちょっと鄙びた情景…。お酒や料理を楽しんでいると、目の前をいくつもの列車が駆け抜けます。福澤さんと私が陣取った席は、目の前に踏切があるのですが、これが列車の接近と合わせて「♪カンカン…」と遮断機が下がるのです。すばらしい。
カウンターの前にある美しい色のカクテル。気になります?戦前、南満州鉄道の特急「あじあ号」で供されたカクテルそのものだそうです。2種類のレシピがあって、我々2人は両方堪能しました。ノスタルジックな味わい。ちなみにグラスを置く皿は、「あじあ号」で使用した本物のお皿だとか。言われて見れば古風で厚手ながら味わいのある白い皿です。
このお店の美点は(って断定しちゃいますが)、バーとしてきちんと雰囲気をもっていること。店のたたずまい、お酒も料理も値段も文句なしです。そのうえで、鉄道好き・模型好きのハートを揺さぶること。カウンターの後ろにはいい感じに照らされたガラスケースがあって、完成品の車両も販売しています。福澤さんの事前取材によれば、「こういう店を銀座の地に作りたかった」というコンセプトを、オーナーは強く抱いていたそうです。いわゆるマニアタウンではなく、王道の銀座に構えることに意義がある、ということでしょう。なるほど、その志は現実になっています。乗りもの好きの皆さん、少人数の会合の際は銀座を目指しましょう。…ふらっと行って座れない程に混雑しちゃうと困りますが。
「福耳」ではありません。見る幸せ=「眼福」に対する、聞く幸せのこと。私の造語です。辞書には載っていませんよ。
私が飛行機に乗るとほぼ毎回やること。=機内放送の「落語」を聞くことです。着席し、機内誌をパラパラ…聴いたことのない演目だったり、寄席やテレビで聴いたことのない噺家さんだったり。
そうなると俄然期待は高まります。イヤホンをつけて、「いまどの辺かな?」と確認。お目当ての演目まで耳を傾けます。あとはひとりで
ニヤニヤ、クスクス。
…はい、不審者ここに現るの巻、でありんす。
江戸時代・あるいは明治期に生まれた古典落語は、演者の語り口の違いを楽しめます。しかし活躍中の噺家が練り込んだ新作落語に巡り会ったりすると、これは幸甚。いつぞや機内で聴いた、桂文珍師匠の「商社殺油地獄」は出色でした。あらすじはネットでご参照頂きたいのですが、産油国の王位継承に遭遇したニッポンの商社駐在員のとんでもない奮闘(?)ぶりがとにかくおかしくて。確か、このときの機内放送は海外のホール公開収録だったような記憶が。きっと現地の日本人駐在員は自分や家族になぞらえて、腹を抱えたことでしょう。これ、どこかでもう一度聴けないものかなあ…。
旅行や出張での「一期一会」には、こんな至芸もあるんです。
ただ眠っちゃ損ですよ。
電車は膨大な数の人目に晒される広告媒体、でもあります。
そりゃそうですよね。山手線の利用者ひとつとっても、その数は百万人単位ですから。
そこに目をつけた車体広告・ラッピング広告は、もはや
都会の風景の一部になっています。
その電車を使った広告の進化形がいま中央線を走っています。
「伊豆マガジントレイン」なる電車。
静岡県と有名4雑誌が競演する、
伊豆の魅力をアピールする電車です。
地方自治体と雑誌によるタイアップ、
それも電車の内外全体を使って
キャンペーンを張るというのは、
前例が無いようです。
この電車に乗っただけで、伊豆に出かけたくなるような雰囲気満載。
4誌それぞれの「伊豆特集号」が読めるのです。
旅情をかきたてられる通勤電車。
ぎゅうぎゅう詰めの熱がこもる中、思い描くは
あったかい湯けむりと美味しいアツアツの伊豆の幸…。
何とも罪作りな電車であります。
この電車、18日まで東京と高尾の間を一日5-6往復するそうですよ。中央線からは消えゆくオレンジ色の電車(201系)を使っている、という点は鉄道ファンにもたまりません。
我が家には、「ミニカー部屋」と呼ぶべき小さなスペースがあります。集め始めたのはそう古い話ではありません。自分の乗っている車と同じミニカーを手にした時からのことです。
43分の1スケール(長さ10センチちょっと)の、出来の良いモデルを一度手にする。と…幼い頃に遊んだミニカーとは別の喜びが芽生えます。見て楽しむ、ということでしょうか。ここには写っていませんが、私のミニカーのおそらく半分以上は、いわゆるオープンカーです。これは、作り込まれたインテリアも見て楽しめるという実利もあります。
全体としては、やっぱり自分が欲しい・乗りたいと思う車がほとんど。こういうのを代償行為というんでしょうね。
最近のミニカーはさらに小さい、64分の1とか72分の1といったスケールでも、精度が上がっています。写真のケースに入っているバス(都営バス、西鉄バス)や、各車の前に並ぶ小さいスポーツカー(フェアレディZ)に至っては150分の1、ですから。長さは3センチ無いんですよ。しかも相当な細部まで表現されています。「米粒に描いたこけし」ではありませんが、人間の進化はいったいどこまで続くのだ!という思いも芽生えるほど。
問題がひとつ。「ミニカー部屋」も手狭になってきたので、今後はこういう極小サイズのコレクションが否応なく増えることが容易に想像されます。ほんとは43分の1がいちばんなんですが…(涙)。
車内アナウンス問題、三度目の論考です。これは記者として取材に行くときのこと。その日は、とある人に事前取材をすべく、電車でひとり移動していました。日本テレビ(麹町社屋)に近い四谷駅からの中央線(下り)です。
生憎の雨模様だったのですね。その日は。ホームも電車もしっとりと濡れていました。で、四谷を発車するなりアナウンス。「ドアが閉まり掛けての駆け込み乗車は大変危険です。思いがけず、…すってんころりん!…っという恐れもあります。ホームが濡れていますので…」ときました。しかも「すってんころりん!」の部分だけは、何というか「劇画調」といいましょうか。やたら真に迫る語り口。
何だ今のは!と思っていると新宿が近づきます。するとこの車掌、型どおりの乗り換え案内などをしたあとに「本日は雨のため傘の忘れ物が大変多くなっております。電車を降りてから、…しまッたぁーッ!…と思うことのございませんよう…」。またも来ました。こんどは超劇画調。「しまッたぁーッ」の前後に一瞬の間を設けるのが、ポイントです。というか、あまりに迫真の「しまッたぁーッ」ゆえに、前後をぼんやり聞いていた人にとっては「なんだ??」とドキッとするぐらい。
あの車掌さんは、いつもそういう感じなのでしょうか。演劇や声優の経験があるのか、あるいは単なる気まぐれなのか。疑問は今も氷解しておりません。