2013年11月アーカイブ
本稿で取り上げた乗りものの中で、最も遠くまで行ったのはこちらではないかと思いますが、如何でしょう。...と書いている私の記憶も定かではないんですけど。
ワシントン郊外、日本からの直行便が到着するダレス空港近くにある、航空宇宙博物館の別館にその実物が展示されています。間近で見るスペースシャトル・ディスカバリー。目の当たりにしての印象は、①けっこう大きい(とくに垂直尾翼が)、②かなりくたびれている、という2点です。
とくに②については、機体表面の様子から強く感じられます。皆さまご存じの通り、大気圏から外に出て、また戻ってくる際に機体は凄まじい熱に晒されます。その熱を遮断するために、無数の耐熱タイルが貼ってあるのですが、これがけっこう痛んでいるのです。遠目に見るとツルッと滑らかに見える機体が、不均一にデコボコしています。いかに過酷な環境を行き来してきたか、ということを、ひと目でさとらせます。さらに、窓枠や扉の継ぎ目もけっこう凹凸があって、随所に「古さ」を感じるんですね。プラスチックの模型とは全く異なります。考えてみれば基本設計は1970年代のものゆえ、当然かもしれません。もちろん、機能はバージョンアップしているのでしょうが、決して「最新の」とは言い難いかと。考えようによっては、よく30年も運用してきたなあと思います。
...と、遙かなところに行ってきた実物を目のあたりにすると、人間の叡智と、その道のりでの犠牲や、宇宙の深遠さなど、あれこれ思いを巡らせずにはいられません。ワシントンにお越しのさいには是非、一見をおすすめします。
「アメリカを代表する風景」「アメリカを象徴する風景」としてしばしば例示される場所のひとつが、カリフォルニア州のヨセミテ国立公園であります。私も実際に行ってみて、その豪快なスケール感と美しさに圧倒されました。青い空、白い雲。灰白色の岩崖は上から見れば足のすくむ深さ。下から見上げれば、全てを押し倒さんばかりにそそり立っています。そして谷底に広がる緑ときらめく清流。どこを切り取っても、日本ではまず見られない風景ですね。
そんなヨセミテの園内をぐるぐると回る観光客のトレーラーがこちらです。清々しいと言ってよいでしょう、このシンプルさ。教会の中のような簡素な椅子がずらっと並び、屋根も風よけもありません。だからこそ生のままの自然を楽しめるんですね。
そして、このトレーラーを引っ張るトラクターが、また豪快。人間の重さって大した事ないですから、おそらく動力性能は「過剰」に近いんではないかと思われます。このときも、勇ましいエンジン音を響かせて去って行きました。でもまあ、乗ってるお客さんにしてみれば、「頼れるアニキ」的な安心感があるのかもしれません。風景も乗りものも、非常にアメリカ的なヨセミテでありました。
アメリカで出張取材に行くと、現地での移動手段としてレンタカーを借りることが多いです。私のイメージとしては、アメリカのレンタカーというと、「旧い年式」「くたびれた艶のない外装」「饐えたにおいの染みついた内装」「がさつくエンジン音と走り」みたいなあまり良くないイメージが先行しておりました。
おそらく、古い映画に出てきた「謎を追っている主人公」「事件を掘り下げる刑事」がその根底にあるんだと思います。物語のカギとなる街で焦燥感を胸に走らせる車。そんな印象を私の脳裏に強く残したのでしょう。我ながら、かなりサスペンスものに偏ったイメージですが。
ところが、実際にレンタカーを利用してみると、そんな先入観は吹き飛ばされます。どうでしょうこの顔ぶれ。バラエティに富んでいること。そして乗ってみるととても快適。私たちの仕事では、原則的には3人以上の荷物と機材を載せるので、多くの場合にはSUVやミニバンを借りるのですが、それ以外にも魅力的な車、結構あります。とくに日本ではまず乗ることのないアメリカ車が幅をきかせていますから、車好きとしてはかなりわくわくします。よい意味で「意外」なことなんですが、保険料などを含めると決して安くはないというのも、車社会のアメリカというイメージにそぐわず、これも意外でありました。
少々古い話になりますが、アメリカ東海岸で過ごす最初の夏の印象を振り返ると、「6月・7月が夏らしかった」ような気がします。8月は、今となってみれば後半には秋に入っていたのかな、と。この写真はそんな感覚を裏付けるような1枚です。
これ、6月上旬に撮影したポトマック河畔のようすです。強い日射し、青い空。そして一つだけ浮かぶ白い雲。まさに夏ですね。きらめく水面がそれらしさを高めています。
ワシントンでは夏のあいだじゅう、日射しが出てくると沢山の船が水の上に繰り出していました。船上をよく見れば、みんな水着かそれに近い格好で飲食を楽しんでいます。のんびりと水辺でのランチとおしゃべりを楽しんだら、エンジンを轟かせてクルーズ態勢に入るという案配。優雅ですなあ。
前回同様、「費用」がどれぐらい必要なのか。見当もつかないところが、羨望の度合いを高めますね。ただ、この状況が実現できたとしても、なんかこの状況がどう見られているのか、自意識が邪魔をして十二分に楽しめなさそうな気もいたします。まだまだ修養が足りません。