2010年12月アーカイブ
早稲田大学に入学した多くの地方出身者がその住居地に選ぶのが、西武新宿線沿線であります。早稲田の学生が拠点とする、高田馬場から発する路線ですから当然でしょう。正確には西武新宿が始発駅ですが。
各駅停車で「馬場」から5つめ、野方といえば、私にとっての上京タウン。この街に3年9か月住みました。この地に居を構えてからまもなく20年...え、20年?ウソみたいです。昨今都内の商店街めぐりに目覚めた私、そういえば野方も沿線屈指の商店街タウンだったと思いだし、再訪しました。
着いてびっくり。駅が変わってる!しかも。私が住んでいた頃には無かった「北口」が出来ている!踏切の左奥に見えるのがそれですね。いやあ、感慨無量です。というのも、写真の左側=駅の北側には出入り口が無かったため、踏切のすぐ向こうに入り口があるのに、待ちぼうけをくらうのは日常茶飯だったから。ひどいときには、何本かの列車が行き来するうちに、自分の乗りたい各駅停車が踏切内を通過...というむなしさを覚えたことも。
当時は左右の様子をみて勝手に遮断機の下をくぐって向こう岸に渡る強者も居ましたが(若者だけでなく、おばちゃんたちも結構居ました)、この出入り口が出来たので、今は昔の物語でしょうね。よかった、安全第一。
前回、つらつらと思い起こした5代目「スポーツシビック」あたりまでが、私にとってのシビックのよき時代、だったように思われます。若々しさと躍動感のある、ちょっとスポーティな程のよい実用車。イコール、ホンダを代表する車種。
しかし95年の6代目以降は、なんだか大きくなり過ぎて、本来のシビックのポジションを見失いつつあったようで。実のところは5代目もかなりの大きさでしたが、6代目でその疑問符が大きくなっていったような気がします。このへんから、小型車の代名詞の一つだったシビックも、徐々に輝きを失い、結果としては今に至る販売台数の低下につながっていったと。
その裏返しが、シビックの原点を想起させる2001年発売の「フィット」の大ヒットにつながっているんでしょう。より小型で広く、シンプルできびきびした車。21世紀のシビックがこれだと思えば、まあ自然につながるような気がします。
どんなヒット作も、時の流れと世の変化には抗えないこともある。日本におけるシビックの近年をみるにつけ、自動車のビジネスというのはたいへんなものだなあと思う私でありました。
先日、ホンダのシビックの国内販売がことしいっぱいで終了、というニュースがありました。一抹の寂しさを禁じ得ません。
シビックは私と同じ1972年の夏に生まれた車。2輪車メーカーとして確固たる地位を築いたホンダが、初めて4輪車市場で大ヒットを収めたのがこのシビックでした。4気筒水冷エンジン横置き、前輪駆動、独立したトランクを持たないハッチバックスタイル、という円台の小型車の基本スタイルを日本で初めて採用した画期的な車。そのクリーンなCVCCエンジンは、いま風にいえば「エコ」を初めて本格的に追求した車でもありました。
初代シビックは、私の叔父が一時乗っていました。明るい茶色のビニールレザーシートは垢ぬけた感じがしました。低いダッシュボード、フロントシートの背もたれ後ろに仕込まれた後席用の灰皿、「ロックしましょう」というステッカーが貼られたドア、などなど、ディテールを容易に思い出せます。
2代目は、小学校の時にW先生が乗っていた白いボディのスポーティーなグレードが懐かしく、3代目の通称「ワンダーシビック」は、ライバル車に一線を画するスタイリッシュなボディ、そしてルイ・アームストロングの「素晴らしき世界」に乗せたテレビCMも印象に残っている方、多いことでしょう。
バブル景気の続く91年にデビューした5代目、通称「スポーツシビック」のCMにはジョディ・フォスターが出演。地元の友の一人、W君は流麗なハッチバックボディに綺麗な青を選んで乗っていました。じつにかっこよかった。 ・・・と、書いているうちに紙幅がいっぱいに。続きはまた次回に。