古き良き時代を色濃く残したデハニ50形ですが、残念ながら3月いっぱいで廃車となることが決定。
一度イベント時に乗車したことがあった私は、どうしてもまたノスタルジックな雰囲気に包まれたいと思い、今回、一畑電車さんに貸切をお願いし、お別れ乗車をしてきました。
突然ですが問題です。列車とタクシーの似ているところは何でしょう?
答えは、どちらも自動扉。お客さんが手で開けなくても、列車(タクシー)が停まると自動でドアが開きますよね?
日本中どこへ行っても、もはや常識といってもいいシーンです。ところが、こんな謎掛けが通用しない列車を持つ鉄道会社があります。島根県の宍道湖畔を走る、一畑電車株式会社です。
電鉄出雲市駅から松江しんじ湖温泉駅を結ぶ北松江線と、川跡駅から出雲大社前駅を結ぶ大社線の2路線、42.2kmを所有しています。
かつて、日本一長い駅名があった鉄道・・・というと、ピンとくる方がいらっしゃるかもしれません。 2001年に古江駅を「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前」駅に改名し、熊本県の南阿蘇鉄道にある「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅を抜いて日本一長い駅名となった駅がありました。
ところが、美術館の閉鎖に伴い「松江イングリッシュガーデン前」駅に再び改名となり、「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅が、日本一長い駅名へと返り咲きました。
一畑電車の主力電車は、かつて京王電鉄で5000系として活躍していた2100系・5000系と、南海電鉄高野線にて「ズームカー」の愛称で親しまれた3000系です。
しかしもう一形式、一畑電車生え抜きの老兵が居るんです。
それが、今回ご紹介するデハニ50形で、デハニ52とデハニ53の2両が在籍しています。
デハニ50形は昭和初期に製造され、リベット打ち付けやお椀型のベンチレーター(通風器)が特徴的な、ノスタルジックなフォルムの電車。けれども、鉄道ファンがまず注目するポイントは、この電車が手動扉であることです。寒冷地などの列車では、自分で扉の開閉を行うことがあります。これは半自動扉といい、列車の出発時には車掌さんや運転士さんが扉を閉め、走行中は乗客がむやみに開けられないようになっています。
これに対してデハニ50形は、完全に手動の扉。
走っている最中でも、留め金を外せば「ガラガラッ」と開くんですよ。さらにデハニ53には、何と荷物室が残されています。鉄道による手小荷物扱いがあった時代の名残りが、現在もそのまま残されているのが素晴らしいですね。
そんな、古き良き時代を色濃く残したデハニ50形ですが、残念ながら3月いっぱいで廃車となることが決定。
一度イベント時に乗車したことがあった私は、どうしてもまたノスタルジックな雰囲気に包まれたいと思い、今回、一畑電車さんに貸切をお願いし、お別れ乗車をしてきました。
当日はあいにく、どんよりとした曇り空。今にもポツリと降り出しそうな中、まずは日中に走る引退記念特別運行列車の撮影をすることにしました。
やってきたのは一畑口駅。
この駅はスイッチバック(列車の進行方向が変わる)駅として知られていることと、春は一面の菜の花に包まれることから、たくさんの撮り鉄さんがいらっしゃいました。
デハニ52が先頭で電鉄出雲市側からやってきた電車は、一畑口駅に停車。
運転士さんがホームを足早に通り、デハニ53の運転台へと乗り込みます。
そして今度はデハニ53が先頭となって、菜の花を揺らしながら松江しんじ湖温泉へと走り抜けていきました。
撮影が終わる頃には、ついに空が泣き出してしまいました。
涙雨の中、いよいよ貸切列車に乗り込みます!
今回の貸し切りはデハニ53(デハニ52は他の団体さんが貸しきっていました)にて、電鉄出雲市から松江しんじ湖温泉までの片道。
約一時間、昭和にタイムスリップです。
車内に入り、木造列車特有の匂いに懐かしさを感じながら靴を脱ぎます。客室内は畳敷きのお座敷車両となっていて、足を伸ばしてくつろぐことができるんです。
窓の日よけは昔ながらの鎧戸で、重厚な雰囲気をかもし出しています。
発車時刻となり、車掌さんがデハニ52との連結側の手動扉の留め金を内側から掛け、小走りに反対側の扉の留め金をかけて、乗務員扉へ乗り込みます。
現在のように乗務員室からスイッチ一つで操作できるわけではないので、とても大変そう・・・
信号が青になり、いよいよ発車!
と、楽しみにしていた唸るようなモーター音が、足元から聞こえてきました。デハニ50形は、吊り掛け駆動方式の電車です。
吊り掛け駆動というのは、台車と車軸の間にモーターが吊りかかっていることからついた名前で、仕組みが簡単なことから昔の車両に多く使われました。
しかし、独特の大きなモーター音があることと、バネ下の重量が重いために乗り心地は良いとはいえません。
そのため、現在ではカルダン駆動という方式に取って代わられ、全国的にも吊り掛け駆動方式の車両は少なくなりました。
雨の中をぐんぐん飛ばし、ガーガーと響く振動に酔いしれます。 「あっ!冷たい!」腕に雫があたり、思わず声が出ました。反射的に天井を見上げます。実はこの車両、木造であるために時折雨漏りする・・・というのを聴いていたんです。なるほど、ベンチレーター付近から時折ポタッと水が落ちてきています。雨だからこその雨漏り体験。側にあったレジ袋を置き、改めて車両の歴史を感じました。
一畑口のスイッチバックを過ぎると、あっという間に時間が過ぎ、車両からは宍道湖と街の明かりがうっすらと見えてきました。
そしてついに、終点の松江しんじ湖温泉駅に到着です。車両から降り、さっきまで咆哮を轟かせていたその主を見るため振り返ると、雨に濡れたその姿が、まるでマラソン後のランナーのように見えました。
出雲の国を戦前から見つめてきた、日本最後の手動扉を持つ電車。歴史の生き字引ともいえる存在の車両が引退となるのはとても寂しいですが、最後の走行まで、元気な姿で鉄道ファンや地元の方々の目を楽しませてくれました。 80年間、本当にお疲れ様でした。