<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0">
    <channel>
        <title>駅の記憶</title>
        <link>http://blog.ekitan.com/kioku/</link>
        <description></description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2008</copyright>
        <lastBuildDate>Tue, 08 Jan 2008 19:37:26 +0900</lastBuildDate>
        <generator>http://www.sixapart.com/movabletype/</generator>
        <docs>http://www.rssboard.org/rss-specification</docs>
        
        <item>
            <title>第19話　下北沢駅　駅の思い出</title>
            <description><![CDATA[<div align="right">福島信吉様　世田谷区北沢在住　「ジャズ喫茶マサコ」経営<br />
  昭和11年　東京都港区西新橋生まれ<br /><br /><div align="left"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="memory_photo_02.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shimokitazawa/memory_photo_02.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" height="190" width="140" /></span>わたしは新橋の佐久間町というところに生まれました。今は西新橋となっている所ね。店の名前になっている元の店主のマサコは大門の生まれだった。お互い生地は近かったな。彼女は大正14年生まれだったと思うから、ひとまわり年が離れているね。<br />
<br />
当初は、マサコがライブに行って、ファンになったジャズミュージシャンがちらほら来てくれるという感じだったと思う。お店を手伝うようになったのは昭和
30年代からだけど、昔は、多摩や八王子へ移る大学もなかったから、下北沢に住んで水道橋や飯田橋あたりへ通学する大学生もたくさん居たね。昔から学生と
若いサラリーマンが多かったと思う。<br />
<br />
駅周辺の界隈の変化としては、忠実屋が昭和40年代にできた経緯を覚えている。うちの隣には北沢エトワールという映画館があった。アズマ通りの方には今ス
ポーツクラブになっているところだけど、オデオン座。北口のみずほ銀行の横がグリーン座。ゼンモールという北口の先の洋品店のあるところ、あれが、北沢劇
場。洋画をやっていた。エトワールでは、日本の映画をやっていたよ。美空ひばり、中村（萬屋）錦之介の出演作品だね。ただ、エトワールは火事になった。
ちょうど今時分、昼の2時くらいに焼けた。昭和40年代。そのあとに忠実屋になった。映画館の跡地にスーパーマーケット。時代を反映しているね。忠実屋
は、いまグルメシティになっているけど、あの建物も近く解体するらしいと聞いています。<br />
<br />
ジャズ喫茶というものは、昔はいたるところにあった。たまり場だね。多様な喫茶店が昔はあって、歌声喫茶、美人喫茶、純喫茶などなどがあったね。ジャズは
全然嫌いじゃないけど、そんなに好きというわけでもなかったんですよ。遊び場がジャズ喫茶だった、ということなんだね。今の大学生や若い人たちの遊び場は
多様化しているでしょうが、昔はあまりなかったんでね。<br />
<br />
お客さんの様子も変化があるね。うちは54年経っているから、子供を連れて見える人、最近は孫を連れて見える人も居る。でも、大学生と若い人が多いね。<br />
<br />
同窓会をやる人がいるね。土日にね。貸切はやっていないけど。懐かしがって、コーヒー飲んでジャズ聴きながら同窓会。お店をやっている中では、昭和50年
前後が一番よかった。その頃は下北沢にはジャズ喫茶が5、6店舗あったかなあ。全般に商店街が忙しくて活気があった。今ある活気とは違う活気だね。まだ
ファーストフードのお店はなかったんですね。わたしはファーストフードは好きでよく食べましたが、ファーストフードが進出する前後に街は変わってきたと思
う。1980年前後だったか、駅にくっつくようにしてマクドナルドができた。それができる前は「名店街」でした。</div></div><div><br /></div>]]></description>
            <link>http://blog.ekitan.com/kioku/memory/shimokitazawa.html</link>
            <guid>http://blog.ekitan.com/kioku/memory/shimokitazawa.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">memory</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">第19話　下北沢駅</category>
            
            
            <Ekitan_sc>3260</Ekitan_sc>
            <Ekitan_category>T00001</Ekitan_category>
            
            <pubDate>Tue, 08 Jan 2008 19:37:26 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第19話　下北沢駅　駅の証人に聴く</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="listen_mainimg.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shimokitazawa/listen_mainimg.jpg" class="mt-image-left" style="margin: 0pt 20px 20px 0pt; float: left;" height="200" width="215" /></span>下北沢駅北口を出て右手にあるのが戦後から歴史を刻む「下北沢駅前食品市場」です。先代から数えて59年になる乾物商、志村商店の店主として下北沢の様子を見守りつづけてこられた志村高一さんは、昭和22年8月29日生まれの60歳。<br />
  <br />
  駅周辺の様子や街の移り変わりについて、ご自身の思い出と、先代や上の世代の方々から聞いた内容を元に語ってくださいました。<br /><br />─先代のお父様の開業はいつ頃でしたか。<br /><br /><b>志村：</b>父は明治44年生まれ。いのしし年です。三軒茶屋が本店で、下北沢は支店としてはじめました。昭和23年に創業です。それまで「担ぎ屋」さんのようなことをしていた。闇屋だよね、一億総闇屋の時代だから。当初は乾物だけとか言ってられないので、何でも売ってたみたい。<br />
  <br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="listen_photo_01.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shimokitazawa/listen_photo_01.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" height="190" width="140" /></span>
  ただ、父が奉公していたのが乾物屋だったので、乾物屋を扱うことになった。奉公していたのは、渋谷の公設市場。いまの246が渋谷のガードした通っているでしょ。あそこにあったんですよ。<br /><br />─先代のお父様の実家は下北沢だったのですか。<br /><b><br />志村：</b>もともと、父の実家が鶴川（現東京都町田市）にあってね。食料統制というのがあって、農家やってられなくなるでしょ。戦時中、父は自分の兄がやっている軍
需工場ではたらくことになった。軍需工場で終戦になり、いったん実家にひっこんだけど、農業やるわけにいかなくて、若い時に奉公をして勝手を知っているか
ら、商売をやることにしたの。<br />
  <br />
  はじめは三軒茶屋に三坪ほどの小さい店を構えていて、それから鶴川を引き払って三軒茶屋に落ち着いた。だから、三軒茶屋で育ったんです。<br /><br />─戦後の下北沢周辺の事はいつごろから思い出としてありますか。<br /><br /><b>志村：</b>店を出した時は、小さくても呼び出されて見に行くものですから、昭和35年、中学生の時に、下北沢のこの商店街をはじめて見た。<br /><br />─下北沢駅前食品市場の周辺は強制疎開があったと聞きました。市場の発足当時のことは何かご存知ですか。<br /><b><br />
志村：</b>聞いた話だけど、鉄道の周辺50メートルか60メートルは全部壊すと言われたらしい。ここは駅の裏側だったみたい。いま踏み切りがあるところが入り口。い
まの一番街商店街が、「本通り」と呼ばれていました。駅前通だよね。この辺は質屋さんの蔵が立っていて線路のわきのところに狭い道があって、それが改札口
へ続いていると聞いている。<br />
  <br />
強制疎開して、ここはもう更地になっているから、小田原の方に魚があるでしょ、みかんがあるでしょ。そういうのを朝行ってかついで帰ってきて、ここの広場
で売ったというのが、ここのマーケット（下北沢駅前食品市場）のはじまりみたいよ。午前中仕入れて売ったら、午後は次のものを仕入れなくちゃというぐらい
売れたらしい。活況だった。終戦直後はね。戸板、板でできた雨戸だけどね、木箱の上に戸板を乗せて売って、売れたらしまって帰るというような形態で商売を
していたらしい。だから、一日経つと自分の場所がなくなってしまう。場所取りが必要だった。<br />
  <br />
いろいろ経緯があったらしいがだんだんと定位置が決まってきたらしい。よしずばりにしたり、バラックを建てたりして、とにかく色々複雑な事情はあったらし
いが、昭和30年代には形になってきたということ。わたしが昭和35年にはじめてここにきたときはいまと同じような感じだよ。ここずらっと露天が並んでい
た。15,6軒。お客さんは、ものすごい多かったよ。<br /><br />─

駅周辺で小さい頃に遊んだ思い出などがありますか。<br /><br /><b>
志村：</b>働きだしたのは昭和43年ごろから。虫取りとか遊びは三軒茶屋でしたね。聞いた話だけどね。<br />
  <br />
  グリーン座っていう映画館があって、その裏に池みたいなのがあって、柿木があって、グリーン座に横から入っていったとか。柿を取って、風月堂のおばさんに怒鳴られたとか。そういうエピソードはあるみたいよ。<br /><br />─
駅の傍の界隈のエピソード、流行っていたお店の事などはご存知ですか。<br /><br />
<b>
志村：</b>
聞いた話でよければ、色々あるよ。木綿屋マキノというお店があって、昔は生地屋さんはえらい売れていたのよ。既製品は高くて買えないから。その傍にスミ
レっていう手芸材料屋があって、ボタンだのゴムだの糸だのを買って服を作る。自分や子供の洋服を作る。焼け跡のつぎのファッションはそれだったみたいだ
ね。<br />
<br />
私が実際に知っているのは、その次からで、「下北ファッション」といって、ファッションリーダ的なのが出てくる。下北マンボといって、細い、ぴったりした
大胆な柄のズボンをはいていた。そういう人たちが、下北マンボって呼ばれていた。昭和40年くらい。ファッションの街と呼ばれるようになったのがその頃だ
ね。<br />
<br />
肉屋の三河屋さんというのがあった。今でこそブロックなどの大きい単位で売るのは当たり前だけど、昔は肉そのものがない。肉屋に対するイメージもよくな
かった。真相はともかく、秤に載せる竹の器を作って20グラム位ごまかして売っているのが肉屋だというようなことを聞いたことがある。ネガティブなイメー
ジを持たれていたんだね。それが、三河屋さんは違った。どこからどうやって仕入れてくるか分からないが、大きいブロックで肉を売るので、たいへんな行列が
出来ていた。肉を買いに来る人がひっきりなしだった。そこで並ぶとピーコックや花広さんに迷惑がかかるというので、銀行の横の坂道まで人を並ばせて旗を立
てて、売っていた。とにかくすごい繁盛ぶりだった。<br />
<br />
これも聞いた話ね。小清水さんというビルがあるけど、そこの家が牛乳屋さんをやっていてね、戦後にアイスキャンデーを作り出したら、お客さんが沢山きて、ごったがえしていたと聞いたことがある。<br /><br />─
駅の再開発の影響はありますか。差支えなければ教えてください。<br /><br /><b>
志村：</b>ここは代替地はないんです。なくなったら移れるわけではない。私自身の考えで言うと、昭和の時代で、小売屋さんの時代は終わりだと思っているんです。だか
ら、平成のいまになったら、それまでに築いたもので細々とやるよりほかないと思う。それまでにお世話になったお客さんという財産を引き継いでやっていくん
だなという思いがある。<br />
<br />
これから新しいお客さんを開拓するというのは難しいと思うね。駅前はスーパーとコンビニだけになるかもしれませんね。自分では、ここの商店街は原点だと
思っている。下駄履きでも、ハイヒールでも来られる、なんでも揃うマーケットがあって、それが下北の中心だと思っていた。ここは「七五三マーケット」と
いって、三坪でも五坪でも七坪でも商売できるという、共生の商店街なんです。<br />
<br />
大きなテナントを入れるスタイルではなくて、そういう共生の商店街の夢はずっと持っていたね。「シモキタ商店街振興組合」に自分は所属していて北口の200店舗以上の総力をあげて、そのような夢を実現しようとした時期もあったが、むずかしかった。<br /><br />─
お店に来るお客さんの客層に変化がありますか。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="listen_photo_02.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shimokitazawa/listen_photo_02.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" height="190" width="140" /></span><b>志村：</b>ここの路地にもいっぱい子供が居てね。子供がいるということは、家族で住んでいるということだから、4人分、5人分の需要があった。今は、下北沢で子育てをして、ずっと住んでいる人たちが少なくなってしまった。<br />
  <br />
一時期、多摩ニュータウンや小田急の先に移っていった人たちも多かったけど、ニュータウンはもっと顕著で、世代がつながっていないから、同じ世代がずっと
住みつづけて、いまはお年寄りばかりの団地になってしまっているようだね。人工の街はそうなってしまう。街というのは本来、お年寄りから子供まで上から下
まで居て、世代がつながっていてはじめて街なんだよね。<br />
  <br />
暮れになると年寄りが活き活きとするんだよ。子や孫にせがまれておせち料理を作るお年寄りが材料を揃えに来てくれるんだね。腰が曲がったお婆さんが年に一
回買いにきてくれるんです。「やんなっちゃうのよ。おばあちゃんのお豆おいしいって言われてね」なんていってね。愚痴を言いながら目をかがやかせてね。田
作り、黒豆、昆布　おせち料理の準備にきてくれるんです。年々来るお年寄りが少なくなるんです。<br />
  <br />
  それが悲しいところでね。去年きたあのおばあちゃん来ないな、というのが年々多くなっているんです。<br /><br />─
乾物についての思いをお聞かせください<br /><br /><b>
志村：</b>乾物は何百年の知恵がつまっている食材なんです。日に当てて乾燥させることで、うまみが出て、保存が効く。ただそれを使うには、時間と手間をかけて料理することが必要なんだよね。<br />
  <br />
今は料理に時間と手間をかけないようになっているし、乾物は売れなくなってしまったね。こういう商売をやっていると、だんだん細くなっていくものを見てい
るからね。われわれの世代が終わったら、乾物類というのは本当にめずらしいものになってしまうかもしれないね。この辺でこういう商売やっているのは、吉祥
寺の土屋商店さんとうちだけしかないんだよね。<br /><br /><br /><div align="right">聴き手、まとめ：ＮＰＯ「昭和の記憶」　多名賀<br />
聴き取り日　07/10/25<br /> </div><div><br /></div>]]></description>
            <link>http://blog.ekitan.com/kioku/listen/shimokitazawa.html</link>
            <guid>http://blog.ekitan.com/kioku/listen/shimokitazawa.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">listen</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">第19話　下北沢駅</category>
            
            
            <Ekitan_sc>-1</Ekitan_sc>
            <Ekitan_category>T00001</Ekitan_category>
            
            <pubDate>Tue, 08 Jan 2008 19:27:11 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第19話　下北沢駅　今、むかし</title>
            <description><![CDATA[<br /><b>・<span class="bbody">昭和2（1927）年4月1日</span></b>─小田原急行小田原線全線が開業しました。初乗旅客運賃は　大人5銭、小児3銭でした。当時の小田原線の駅総数は38駅でした。<br /><b><br /><span class="bbody">・昭和2(1927) 年10月15日</span></b>

─小田原線で急行電車の運転が開始されました。<br /><b><br /><span class="bbody">・昭和3(1928)年</span></b>

─年間の乗降人員は、2,568人でした。<br /><b><br /><span class="bbody">・昭和8（1933）年8月1日</span></b>

─帝都線の下北沢駅が開業しました。<br /><br />


<b><span class="bbody">・昭和17(1942)年5月1日</span></b>─小田急電鉄は京浜電気鉄道とともに東京横浜電鉄と合併し、東京急行電鉄（通称、大東急）と改称されました。井の頭線は同社新宿営業所局所属となりました。<br /><br />

<b><span class="bbody">・昭和19(1944)年4月1日</span></b>─旅客運賃が改訂され、初乗旅客運賃、大人10銭、小児5銭になりました。<br />
<b><br /><span class="bbody">・昭和22（1947）年7月7日</span></b>

─旅客運賃が改定され、初乗旅客運賃、大人1円、小児50銭になりました。<br />
<br />

<b><span class="bbody">・昭和23(1948）年6月1日</span></b>─東京急行電鉄（通称、大東急）から分離し、京王帝都電鉄（現・京王電鉄）、京浜急行電鉄、小田急電鉄が発足しました。旧帝都線は京王帝都電鉄の所属となりました。<br />
<br />

<b><span class="bbody">・昭和26（1951）年11月11日</span></b>─旅客運賃が改定され、初乗旅客運賃、大人10円、小児5円になりました。<br />
<br />

<b><span class="bbody">・昭和27（1952）年6月3日</span></b>─井の頭線で全線3両編成運転が開始されました。<br /><b><br /></b><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_01.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shimokitazawa/now_photo_01.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />下北沢北口駅前風景（昭和30年頃）<br /><b><br /></b><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_02.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shimokitazawa/now_photo_02.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />駅北口と駅前食品市場をのぞむ（昭和30年）<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_03.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shimokitazawa/now_photo_03.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />南口商店街から駅をのぞむ(昭和30年頃)<br /><b><span class="bbody"><br /></span></b><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_04.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shimokitazawa/now_photo_04.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />井の頭線ホーム延伸工事前（昭和31～32頃）<br /><b><span class="bbody"><br /></span></b><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_05.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shimokitazawa/now_photo_05.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />井の頭線ホーム延伸工事中（昭和32年10月）<br /><b><span class="bbody"><br /></span></b><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_06.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shimokitazawa/now_photo_06.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />ホーム延伸工事完了後の井の頭線駅舎（昭和32年11月9日）<br /><b><span class="bbody"><br /></span></b><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_07.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shimokitazawa/now_photo_07.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br /><b><span class="bbody">・昭和35(1960)年</span></b>─年間乗降人員数は、159,645人でした。<br />
<b><br /><span class="bbody">・昭和41（1966）年1月20日</span></b>
─旅客運賃が改定され、初乗旅客運賃、大人20円、小児10円になりました。<br />
<b><br /></b><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_08.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shimokitazawa/now_photo_08.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />下北沢駅北口（昭和48年2月）<br /><b><span class="bbody"><br />・昭和52(1977)年4月</span></b>
─下北沢駅　開業50周年を迎えました。<br />
<br />
<b><span class="bbody">・昭和53（1978）年1月10日</span></b>─井の頭線で全列車5両編成となりました。<br />
<br />
<b><span class="bbody">・昭和53(1978)年3月31日</span></b>─小田急線が営団地下鉄（現・東京メトロ）千代田線との相互直通運転が開始されました。<br />
<br /><b>・<span class="bbody">昭和55(1980)年</span></b>─年間乗降人員数は、257,102人でした。<br />
<br />
<b><span class="bbody">・昭和63（1988）年</span></b>─旅客運賃が改定され、初乗旅客運賃、大人100円、小児50円になりました。<br />
<br />
<b><span class="bbody">・平成2(1990)年</span></b>─年間乗降人員数は、292,820人でした。<br />
<br />
<b><span class="bbody">・平成13(2001)年2月</span></b>─バリアフリー化の一環として階段昇降機使用が開始されました。<br />
<br />
<b><span class="bbody">・平成15年(2003)年</span></b>─都市計画が変更となり、地下式になりました。<br />
<br />
<b><span class="bbody">・平成16年(2004)年</span></b>─小田急線　地下式工事が着工されました。地下式工事により、下北沢を通る小田急線は完全地下化が予定されています。（2013年(平成25年)完成予定）<br />
<br />
<b><span class="bbody">・平成17(2005)年</span></b>─年間乗降人員数は、254,009人でした。<br />
<br />
<b><span class="bbody">・平成19(2007)年</span></b>─若者の街として親しまれ、今に至っています。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_09.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shimokitazawa/now_photo_09.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />下北沢駅南口（平成19年12月）<br /><br /><div align="right"><br />写真・資料提供<br />
世田谷区立世田谷郷土資料館<br />
京王電鉄株式会社広報部<br />　
『あいぼりー特別号　京王線・井の頭線　むかし物語 総集編』2003年 京王電鉄株式会社広報部<br />
<a href="http://www.agui.net/" target="_blank">AGUI NET</a><br /></div><div><br /></div><div><br /></div>]]></description>
            <link>http://blog.ekitan.com/kioku/nowthen/shimokitazawa.html</link>
            <guid>http://blog.ekitan.com/kioku/nowthen/shimokitazawa.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">nowthen</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">第19話　下北沢駅</category>
            
            
            <Ekitan_sc>-1</Ekitan_sc>
            <Ekitan_category>T00001</Ekitan_category>
            
            <pubDate>Tue, 08 Jan 2008 19:16:45 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第19話　下北沢駅</title>
            <description><![CDATA[<div align="right"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="index_mainimg.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shimokitazawa/index_mainimg.jpg" class="mt-image-none" style="" height="250" width="500" /></span><br />延伸工事完了後の井の頭線下北沢駅(昭和35年)<br /><br /><div align="left">小田急線と京王井の頭線が交差する下北沢駅。沿線に数々の大学があり、しゃれたお店や劇場が立ち並ぶことから、若者の街・ファッションの街として親しまれ
ています。街全体が醸し出す気さくな雰囲気、戦後からの面影をつよく残す駅周辺界隈、狭い路地のところどころに散りばめられるように存在する素敵な古着
屋、雑貨屋、レストランの数々は、これまで多くの人たちの心をつかんできました。今回は、昭和2年開業し、まさに昭和とともに歴史を刻み、そして現在、大
きな再開発を前にした下北沢駅をご紹介します。</div></div><div><br /></div>]]></description>
            <link>http://blog.ekitan.com/kioku/eki/shimokitazawa.html</link>
            <guid>http://blog.ekitan.com/kioku/eki/shimokitazawa.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">eki</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">第19話　下北沢駅</category>
            
            
            <Ekitan_sc>-1</Ekitan_sc>
            <Ekitan_category>T00001</Ekitan_category>
            
            <pubDate>Tue, 08 Jan 2008 19:13:47 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第18話　渋谷駅　駅の思い出</title>
            <description><![CDATA[<div align="right">伊藤雅一様　埼玉県ふじみ野市在住　昭和58年生まれ<br /><br /><div align="left">
109、HMV、マルイ、ロフト...。渋谷駅のハチ公口を降り、センター街の方へ向かうと、購買意欲を誘うような店舗が所狭しと林立している。<br />
<br />
渋谷といえば日本でも屈指の流行発信スポットであり、終日人の賑わいが絶えることはない街という印象が強い。しかしそれは渋谷の一面であって、中心部を一歩離れれば違う渋谷の面影を垣間見ることができるのである。<br /><br />
私の通う大学があるのは、センター街とは逆方向の、閑静な住宅街の中に佇んでいる。近くには氷川神社があり、桜花の色合いを見、木陰の涼しさを感じ、落ち
葉を踏む音を聞くことで四季の移ろいを私達に教えてくれる。やや遠回りになってしまうにも関わらず、わざと神社を通り抜けて通学するのは、そんな四季折々
の諸相を楽しみたいからだった。そんな神社を含む渋谷駅と大学を結ぶ道は、私が最もよく歩く渋谷である。<br />
<br />
私は大学で文学を学んでいるが、渋谷もまた文学と所縁の深い場所である。<br />
例えば国木田独歩は、渋谷がまだ渋谷村だった頃に住居を構え、名著『武蔵野』を生み出した。渋谷公会堂とNHK放送センターの間の道を下っていくと、ひっ
そりと国木田独歩の住居跡の碑がたっている。また、白樺派の作家・志賀直哉は、常磐松小学校と金王八幡宮との間にあたる場所に住居を構えていたことも知ら
れている。<br />文学好きの学生が、志賀家の表札を持ち帰ってしまうという困ったエピソードも残っている。渋谷駅周辺は意外と、文学散歩に適した場所なのである。<br />
<br />
大学に通い始めて渋谷の歴史の奥深さを知るようになり、渋谷の新たな魅力を見つけることができた。耳を澄ませば、文豪の足音も聞こえてきそうな渋谷の小道。そこを私は毎日、大学へ通うために歩いている。</div></div>]]></description>
            <link>http://blog.ekitan.com/kioku/memory/shibuya.html</link>
            <guid>http://blog.ekitan.com/kioku/memory/shibuya.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">memory</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">第18話　渋谷駅</category>
            
            
            <Ekitan_sc>-1</Ekitan_sc>
            <Ekitan_category>T00001</Ekitan_category>
            
            <pubDate>Thu, 01 Nov 2007 19:09:39 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第18話　渋谷駅　駅の証人に聴く</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="listen_mainimg.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shibuya/listen_mainimg.jpg" class="mt-image-left" style="margin: 0pt 20px 20px 0pt; float: left;" height="200" width="220" /></span>濤川由雄さんは昭和11年3月8日生まれ。渋谷地下商店街振興組合の理事長として、現在も『しぶちか』活性化のためご活躍されています。ファッション・文
化、流行の発信地として若者や大勢の人で溢れる渋谷も、その昔は瓦屋根の木造2階建てがひしめいていたそうです。長年、渋谷の街の変化を見守り続けてきた
濤川さんに、渋谷駅の移り変わりを伺いました。<br /><br />─ お生まれも渋谷なのですか？<br /><br /><b>濤川：</b>昭和11年3月の8日にね、井の頭線がありますね、あそこを降りた近所（井の頭線向かって左の駅前会館ビル）で生まれたんです。昔はあの辺、木造の家屋
で、平屋とか二階建てとか、細い路地でね、仕舞た屋（しもたや）というのがいっぱいあったんです。商売をしていない、人が住んでいるところね。住居専用の
家。そこで生まれたんです。<br />
<br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="listen_photo_01.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shibuya/listen_photo_01.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" height="140" width="190" /></span>
両親は大正15年に渋谷に越してきて、その前は深川で商売してました。僕は昭和11年生まれたんですけど、通ったのは大和田小学校。小学校の3年生のとき
まで通いました。戦局がだんだん日本にとって不利になってきて、空襲があるだろうってことで、まず学校を閉鎖して、子供たちは戦争の被害にあって死んじゃ
うかもわかんないから、地方の山奥の方へ集団疎開させたんです。昭和21年に埼玉の疎開地から戻ってきたんです。<br />
<br />
昭和18年頃かな、駅周辺は空襲にあって、江戸時代のとき火事があると家を壊したでしょ。火が広がらないように。それと同じ考えで、日活とか映画館があったところを、マメタンクっていうちっちゃい戦車みたいなの持ってきて、柱にロープひっかけて、全部ぶっ壊したの。<br />
<br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="listen_photo_02.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shibuya/listen_photo_02.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" height="190" width="140" /></span>初代ハチ公は、渋谷駅の駅舎のすぐ前にあったんです。戦時中に金物がなくて、
溶かして鉄砲の弾かなんかになったんだよね。今のハチ公は戦後に作ったんだよね。
4月8日に毎年、ハチ公祭りやっているよ、午後1時からね。
映画もやっててね、松竹とか。<br /><br />─当時の渋谷の映画館の入場料や物価はいくらくらいだったのですか？<br /><br /><b>濤川：</b>僕は松竹ではなくて銀星座っていうニュース専門の映画館に行ってた。<br />
入場料は5銭か10銭くらいかな。<br />
普通の映画館は50銭とか、1円とか。銀星座では桃太郎のキャラクターを使って飛行機乗りかなんかの兵士になって、戦争に行くって言う映画をやってて、それを見たことあるなぁ。<br />
<br />
道玄坂の上の方に憲兵隊があったんですよ。で、その憲兵の隊長なんかが乗ってる車がね、坂下りてきて、パンクして止まっちゃったの。それを見たうちの親父
が『パンクしちゃった』って指摘をしたら、それが気に障ったのか、憲兵隊に連れてかれて、しぼられたって言ってたなぁ。それくらい怖かったんだな。<br />
<br />
終戦直後、昭和20年か21年くらいかな、共栄マーケットってのができててね。そのマーケットでグローブ買ってもらったの。100円くらいかなぁ。当時は
かけそばが100円切ってて、80円くらいの値段。たぬきうどんが100円で、そんなの食べられなかったなぁ。ラーメンが30円くらい。<br />
そのとき渋谷駅から電車に乗ると、初乗りの子供料金で5銭。大人で10銭くらいだったかな。僕が小学生のころ、4年生か5年生のとき、5銭札とか10銭札があったね。<br /><br />─
今、渋谷駅はものすごく人が多いですが、どのよう移り変わってきたのですか？<br /><br /><b>濤川：</b>
渋谷はしっとりした所だった。昔もそれなりにごちゃごちゃしてたけど、今ほどじゃないですよ。昭和35年ごろの写真見てみなよ、道玄坂だってみんな瓦屋根の2階建てだもの。ビルは東急東横とかくらいだよ。道玄坂なんてビルは全然なし。木造の2階建て。<br />
<br />
目に見えて変わってきたのは、109が出来たころからだろうね。それまであんまりビルはなくってね。109の道路の反対側に、5階建てのビルがあったくら
い。パルコは109より3、4年前に出来たのかな。パルコが出来る前までは、あの通りなんてのは、夜は怖くて歩けなかった。代々木の練兵場もあったしね。<br /><br />─ 今、渋谷はファッションや流行の発信地というイメージがあるのですが...<br /><br /><b>濤川：</b>渋谷はね、ファッションの発信地って言ってるけどね、青学（青山大学）がでかいんだよ。おしゃれな子がいてねぇ。青学の隣、代官山の方へ入っていく八幡通
りの手前の店が、ロゴ入りTシャツってのを売り出したんだよ。それまでTシャツって無地だったんだけど。そこに大学の学生が並んだんだよ。昭和44、45
年くらいだったかなぁ。そこが売れたんだよ。青学の学生と、パルコ。パルコは結構、芸能人きてたからねぇ。<br /><br />─ 渋谷にゆかりのある方では、どのような方が居ましたか？<br /><br /><b>濤川：</b>森光子さん。実際僕が見たのは森光子さんだけど、他にも結構来てるってのは聞いてた。<br />
<br />
戦前は、松濤（しょうとう）っていうお屋敷町があったんだよ。松濤って知らない？田園調布より一つ格上なんだよ。変わっちゃったけどね。山本富士子さんと
かね、緒方竹虎さんっていう自由党の党首か、そういった錚々たるメンバーが住んでた。森進一さんとか、あと国鉄の三輪さんとか。僕は松濤に間借りしてたか
らね。そういったお子さんたちと遊んだわけ。俳優もいただろうね。<br />
<br />
今は南平台の方が格上だけど、松濤っていうと、お屋敷町ではダントツだったの。財界が多い。あと、奥の東横線、田園調布、自由が丘。昔はお屋敷町だったん
だよ。一宅地300坪くらいあったんだよ。戦後、相続税が発生して、それが払えなくてみんな分割してっちゃう。今じゃ50坪から100坪くらいになっ
ちゃった。今はお店がいっぱいあるけどね。<br /><br /><div align="right"><a href="http://www.shibuchika.jp/" target="_blank">渋谷地下街しぶちか のホームページ</a><br /><br /><br />
聴き手、まとめ：ＮＰＯ「昭和の記憶」　吉野・斉藤<br />
聴き取り日 2007/08/21<br /></div><div><br /></div><div><br /></div>]]></description>
            <link>http://blog.ekitan.com/kioku/listen/shibuya.html</link>
            <guid>http://blog.ekitan.com/kioku/listen/shibuya.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">listen</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">第18話　渋谷駅</category>
            
            
            <Ekitan_sc>-1</Ekitan_sc>
            <Ekitan_category>T00001</Ekitan_category>
            
            <pubDate>Thu, 01 Nov 2007 19:02:34 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第18話　渋谷駅　今、むかし</title>
            <description><![CDATA[<br /><b>・<span class="bbody">明治18（1885）年3月1日</span></b>─<span class="bcap">赤羽駅～品川駅開通</span>。日本鉄道開業。開設当時の渋谷駅の位置は、現在の埼京線ホームの恵比寿部分にあたります。渋谷駅が現在地に移転したのは大正9年。

<br />
<b><br /><span class="bbody">・明治40（1907）年8月11日</span></b>

─玉川電気鉄道線（後の東急玉川線）開業。
<b><br /><span class="bbody"></span></b><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_01.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shibuya/now_photo_01.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><b><span class="bbody"><br /></span></b>電車運転開始以後の光景（明治42年）<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_02.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shibuya/now_photo_02.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />明治末期の山手線。恵比寿、渋谷間を走る様子<br /><b><span class="bbody"><br /></span></b><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_03.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shibuya/now_photo_03.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />渋谷駅と現在のハチ公あたり。（大正時代）<br /><b><span class="bbody"><br />・昭和2（1927）年8月28日</span></b>

─東京横浜電鉄（現在の東急東横線）開業。関東大震災を期に東京の市街地が西側へ広がり始めました。

<br /><b><br /><span class="bbody">・昭和8（1933）年</span></b>

─帝都電鉄渋谷線（現在の京王井の頭線）開業。
<br /><b><br /></b><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_04.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shibuya/now_photo_04.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br /><b><span class="bbody">・昭和9（1934）年</span></b>

─忠犬ハチ公が建てられる。しかし、戦時中の鉄材供出によってなくなり、現在の像は昭和23に再建された2代目。
<br /><br />

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_05.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shibuya/now_photo_05.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />宮益坂の市電（昭和12年）<br /><b><br /><span class="bbody">・昭和13（1938）年12月20日</span></b>─東京高速鉄道線（現在の東京メトロ銀座線）開業。
<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_06.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shibuya/now_photo_06.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />宮益坂（昭和26年）<br /><b><br /></b><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_07.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shibuya/now_photo_07.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />東横百貨店が見える。（昭和30年）<br /><b><br /></b><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_08.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shibuya/now_photo_08.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />レトロな感じの3階建て渋谷駅舎（昭和40年）<br /><b><span class="bbody"><br /></span></b><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_09.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shibuya/now_photo_09.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br /><b><span class="bbody">・昭和44（1969）年5月10日</span></b>─東急玉川線廃止。
<br /><br />

<b><span class="bbody">・昭和52（1977）年4月7日</span></b>─東急新玉川線（現在の田園都市線）開業。
<br /><br />

<b><span class="bbody">・昭和53（1978）年8月1日</span></b>─営団地下鉄半蔵門線の渋谷駅～青山一丁目駅間開業。
<br /><br />

<b><span class="bbody">・昭和62（1987）年4月1日</span></b>─国鉄分割営業により国鉄の駅はJR東日本の駅（山手線所属）となります。
<br /><b><br /><span class="bbody">・平成16（2004）年4月1日</span></b>

─営団地下鉄の民営化により、銀座線と半蔵門線の駅は東京地下鉄（東京メトロ）の駅となります。
<br /><b><br /><span class="bbody">・平成18（2006）年10月</span></b>

─ハチ公広場に、旧5000系電車（青ガエル）の実物が展示されました。内部には渋谷の歴史などを紹介するスペースとして利用されていて、入ることもできます。
<br /><br />

<b><span class="bbody">・平成19（2007）年8月</span></b>─行きかう人々に溢れながらも、一歩小道に入れば情緒豊かな町として、現在も発展を続けています。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_10.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shibuya/now_photo_10.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />常に変化し続ける渋谷駅東口（平成19年）<br /><div align="right">
<br /><br />※ 写真・資料協力：<br />
『古写真で見る明治の鉄道』　2001　世界文化社<br />
『タイムスリップ　山手線』　2003　大正出版株式会社<br />
<a href="http://www.ynet.co.jp/touyoko/" target="_blank">「とうよこ沿線フィルムライブラリー」</a><br />
<a href="http://www.shibuyamiyamasu.jp/" target="_blank">「みやます商店街」</a><br /> </div>]]></description>
            <link>http://blog.ekitan.com/kioku/nowthen/shibuya.html</link>
            <guid>http://blog.ekitan.com/kioku/nowthen/shibuya.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">nowthen</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">第18話　渋谷駅</category>
            
            
            <Ekitan_sc>-1</Ekitan_sc>
            <Ekitan_category>T00001</Ekitan_category>
            
            <pubDate>Thu, 01 Nov 2007 18:55:54 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第18話　渋谷駅</title>
            <description><![CDATA[<div align="right"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="index_mainimg.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shibuya/index_mainimg.jpg" class="mt-image-none" style="" height="250" width="500" /></span><br />開業80周年記念の渋谷駅（昭和40年）<br /><br /><div align="left">
開業した明治18年ごろは、まだ東京の郊外のひとつの街に過ぎなかった渋谷駅。鉄道の開通、増線とともに駅周辺や街全体が発展していき、今では東京の中心となっている渋谷。<br />
今回の駅の記憶は、東京の主要駅、渋谷駅をご紹介します。</div></div><div><br /></div>]]></description>
            <link>http://blog.ekitan.com/kioku/eki/shibuya.html</link>
            <guid>http://blog.ekitan.com/kioku/eki/shibuya.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">eki</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">第18話　渋谷駅</category>
            
            
            <Ekitan_sc>-1</Ekitan_sc>
            <Ekitan_category>T00001</Ekitan_category>
            
            <pubDate>Thu, 01 Nov 2007 18:53:51 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第17話　川崎駅　駅の思い出</title>
            <description><![CDATA[<div align="right">一色令子様　神奈川県川崎市　アナウンサー<br /><br /><div align="left">
たこ焼き、焼きソバ、フランクフルトにいなり寿司。〆（しめ）はスイカのカキ氷。<br />
これは我が家の夕食メニューです。まるでお祭りの縁日のよう！？<br />
そうなんです。東海道の宿場町・川崎は、今でも祭りが盛んに行われ、駅近くの稲毛神社の周りにはずらりと屋台が立ち並びます。<br />
今日は？　何のお祭りだっけ？　と考えてしまうほどの頻度。夏になると各町内会から神輿が出て駅前は車線規制の嵐です。<br />
<br />
特に我が家は、義父が町内会長ということもあって祭で出す食べ物のメニュー作りから熱が入ります。<br />
でも私が川崎に嫁いだ15年前。実家の両親はかなり心配したようです。まだ新米の嫁として祭りに携わっていたころ、実父が突然、祭りの会場にやってきたことがありました。<br />
父からすれば「風紀の悪い川崎...。しかも祭りなんて...。娘は酔っ払いにからまれているのではないか」と気が気ではなかったとか。<br />
<br />
父の予想とは裏腹に、仮装までして（ピエロになりました！）和気藹々とカキ氷を配っていた私――。<br />
イチゴの氷をほおばっりながら、父親は私の幼い頃を思い出したと笑っていました。<br />
父の言うとおり、子どものころ大好きだったのが町の小さなお祭り。浴衣を着て、ヨーヨー釣り、わたあめ、あんずあめ、焼きもろこし、威勢のいい金魚すくいのお兄ちゃん...。<br />
川崎駅に降り立って、太鼓の音が聞こえてたら、そんな子どものころにタイムスリップするようなウキウキと落ち着かない気持ちになるのです。



<img src="http://ekitan.com/kioku/kawasaki/img/spacer.gif" alt="" height="20" width="1" /></div></div>]]></description>
            <link>http://blog.ekitan.com/kioku/memory/kawasaki.html</link>
            <guid>http://blog.ekitan.com/kioku/memory/kawasaki.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">memory</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">第17話　川崎駅</category>
            
            
            <Ekitan_sc>-1</Ekitan_sc>
            <Ekitan_category>T00001</Ekitan_category>
            
            <pubDate>Mon, 03 Sep 2007 18:44:56 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第17話　川崎駅　駅の証人に聴く</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="listen_mainimg.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/kawasaki/listen_mainimg.jpg" class="mt-image-left" style="margin: 0pt 20px 20px 0pt; float: left;" height="200" width="195" /></span>川崎駅から徒歩5分のところにある川崎市東田商店街。50年あまりに渡って、川崎と川崎駅の移り変わりを見守ってきました。その商店街の理事長、小林一郎
さんは、昭和12年5月3日生まれ、今年でちょうど70歳。川崎市役所の真向かいの林屋人形店を経営なさっています。戦後、焼け野原だった川崎がどのよう
に発展してきたのか、小林さん自身の思い出とともに語ってくださいました。<br /><br />─
生まれも育ちもずっと川崎ですよね。<br /><br /><b>小林：</b>ええ。小学校、中学校、高校と。小学校は宮前小学校、これはもう川崎では2番目に古い小学校。私は1年生で入ったけれど、それからずっと疎開していて、6年生になって戻ってきて、卒業したのは宮前小学校。だから入学と卒業だけ(笑)。<br />
<br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="listen_photo_01.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/kawasaki/listen_photo_01.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" height="140" width="190" /></span>
中学校が富士見中学っていう新制中学の第4期目でね。できたばっかりでね。それまでは旧制中学。そこには3年間ずっと通いました。その当時はね、クラスが
１年から3年まで変わらないんですよ。だから中学校の友達とは結構仲がいいですよ。だいぶみんなあちこち行っちゃいましたけど。高校は大森高校ってとこに
入ってね、3年間通いました。<br />
<br />
大学では、写真のクラブに入っていてね。写真家になりたかったんだけどね、親父がもう、「店をやれ」ってね。しょうがないから卒業と同時に店に入りましたよ。<br /><br />─ お父様の代から人形屋さんだったんですか？<br /><br /><b>小林：</b>いや、戦前はお菓子の製造をやってたんですよ。同じ町内で。もうちょっと奥ばったところで。戦後、（人形屋は）親父の代からね。だからこの「林屋」って名前、お菓子屋の時も林屋だったんですよ。<br />
<br />
この近くに（川崎）競馬場がありますけれど、そこに関東大震災の後に東京の方から引越してきてね、そこでやったのがお菓子屋さんの始まり。だから林屋って名前でやってるのは、ちょっと商売が違いますけれどもう80年。<br />
<br />
うちの親父がね、川崎は空襲に早くあったでしょ、長野のほうに疎開したんです。戦争が終わってすぐ、(父だけ）こっちにきたのです。で、何か商売をやろう
ということで、鶴見の駅前に露店商みたいのをやったんですよ。その時に何をやろうかってなって、おもちゃ屋をやったんですよ。で、まだそんときは川崎は焼
け野原で、そこに商店街ができるってことをきいてね。すぐに川崎にきて、私のおじいさんが応援していた議員の有力者に頼んで一番いいこの角をとってもらっ
て、おもちゃ屋を始めたんです。おもちゃっていうと人形がやっぱり普通ですよね。で、問屋にすすめられておもちゃと人形を売ったわけです。<br />
<br />
私の代になってね。おもちゃっていうとテレビゲームになっちゃったでしょ、おもちゃが売れなくなってきて、もうおもちゃ売っててもしょうがないってことで、人形屋に変えたわけ。だから昔は林家玩具店という名前でした。<br />
<br />
だからここで商売始めたのが戦後、昭和24年。焼け野原でしたよ。建物もないし、戦争で残ったのは、向かいの市役所だけでね。<br /><br />─
子供の頃、このあたりはどのような感じでした？<br /><br /><b>小林：</b>
一応戦前は川崎で一番の繁華街というと、すぐそこの通り（国道15号線）からずーっと六郷橋までね、そこが一番にぎわったところなんですよ。今は平和通り商店街って言って。<br />
<br />
だから昔から川崎にいた人たちは戦後、お店を出すっていうと、そこに近いところにみんな来たわけですよ。駅の方はね、本当にもう草っぱらで、今一番にぎや
かな銀柳会商店街ってのがあるんですけど、あそこはもうどぶ川でね。だから、あそこにお店を出したってのは割合新しい、まあ、地方からきた人たちが多く
て。<br /><br />─ 戦後の駅周辺はどのような感じでした？<br /><br /><b>小林：</b>んー、焼け野原。駅もめちゃめちゃで。その当時はまだ木造のモルタルの造りでしたけれど、川崎駅ってのは。まあ川崎駅自身は、これはもう新橋から横浜ま
で、初めて鉄道が通った時に川崎駅ってのができたんでね。で、まあ、川崎ってのは川崎大師があってね、江戸時代から、参拝客が来るんで。川崎駅から人力車
に乗って大師に参拝して。<br />
<br />
その当時、関東地方では初めて私鉄の「大師電気鉄道」ってのができて。それが今の京浜急行の一番初めなんです。それが大師駅から、ほんとは川崎駅まで持っ
てきたかった。でもほら、人力車が結局失業しちゃうでしょ。それでね、だいぶ反対にあって、六郷橋のところから川崎駅まで、大師電気鉄道をひくことができ
たんですよ。だから川崎駅から六郷橋までは人力車に乗って。今は京浜急行できて大師まで行けちゃいますけどね。<br />
<br />
戦後、私のお店をだして、その時はまだ（川崎市役所の前の）通りもなかったし、ちょうど造ってるところでしたよ。昔の通りってのは、京浜急行からの通りなんです。その角に、川崎一番のデパートがあったんです。<br />
<br />
当時は駅のほうには大きな商店街がなかったから、この辺はすごいにぎわいましたけどね。で、昔は川崎は工場地帯でしてね、大きい工場とかあったでしょ。だからそういう人たちの給料日の後とかには商店街もだいぶにぎわって。<br />
<br />
今はみんな飲み屋さんになっちゃたけど、昔は魚屋さんもあったし八百屋さんもあったしね。逆に、JR、昔の国鉄の駅っていうのは何もないところだったんだね。<br /><br />─

この地区で人形屋さんというと林家人形店だけのようですが。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="listen_photo_02.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/kawasaki/listen_photo_02.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" height="190" width="140" /></span><b>小林：</b>
そうですね、昔は平和通り商店街ってとこに一軒同業者がいたんですけどもうやめちゃってね。今はもう人形専門店もどんどん減ってきちゃって今は社長を引退して息子に譲っちゃってますけど。<br />
<br />
私の親父が初代の商店街の理事長だったんですよ。私が最後になっちゃうかな。最近はもう入れ替わっている店が多いですから、昔からあるうちのようなお店ってのはなくなっちゃいましたね。<br />
<br />
この商店街は戦後初めてできたほんとに古い商店街で、市が、まあいわゆる昔のバラックっていうんですかね、木材をもってきてこの商店街を建てたんです。で
まあ、川崎市で初めてじゃないかな、うちの親父が理事長の時、アーケードを作ろうっていうのでアーケードを作ったんです。そのあと古くなっちゃって崩れそ
うになって2、3年前、私が理事長の時取り壊してね。<br />
<br />
この場所は昔は本当ににぎやかだったのだけど、今はちょっともうさびれたようになっちゃって。せがれは大変だろうと思うけど(笑)。銀柳会通りを通ればわ
かるけど、多いのはパチンコ屋さん、ゲームセンター、ドラックストアでしょ。昔はお客さんがいっぱいきたんだけどね、って昔から地元からいる人たちともよ
く話すよ。昔はね、大師周辺がとにかくにぎやかで川崎っていうのは、そこから発展していったんですよね。<br /><br /><div align="right"><a href="http://www.h5.dion.ne.jp/%7Ehayasiya/" target="_blank">林屋人形店のホームページ</a><br />
<a href="http://www.k-shouren.jp/federation/higashida.htm" target="_blank">川崎市東田商店街のホームページ</a><br /><br /><br />
聴き手、まとめ：ＮＰＯ「昭和の記憶」　吉野智衣子<br /></div>]]></description>
            <link>http://blog.ekitan.com/kioku/listen/kawasaki.html</link>
            <guid>http://blog.ekitan.com/kioku/listen/kawasaki.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">listen</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">第17話　川崎駅</category>
            
            
            <Ekitan_sc>-1</Ekitan_sc>
            <Ekitan_category>T00001</Ekitan_category>
            
            <pubDate>Mon, 03 Sep 2007 18:38:06 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第17話　川崎駅　今、むかし</title>
            <description><![CDATA[<b>・<span class="bbody">明治5（1872）年6月5日</span></b>─<span class="bcap">国鉄東海道本線川崎駅開業（横浜～品川間仮開業）</span>。初運転当時の運転回数は1日2往復。料金は片道上等1円50銭、中等1円、下等50銭でした。米一升が5銭だった当時の貨幣価値から考える、利用者はまだまだ限られていました。
<br /><br />

<b><span class="bbody">・明治5（1872）年10月14日</span></b>─<span class="bcap">横浜～新橋間　鉄道開業</span>。日本初の鉄道で、後にこの日は鉄道の日に制定されました。新橋～横浜間の全開通後は料金も引き下げられ、利用者も次第に増加しました。
<br /><b><br /><span class="bbody">・明治12（1879）年11月1日</span></b>

─<span class="bcap">川崎～鶴見間　複線完成（川崎～大森間は同3月1日に完成済）</span>。<br /><b><br /><span class="bbody">・明治15（1882）年</span></b>

─<span class="bcap">川崎駅他に錬鉄製ラチス型桁袴跨線人道橋を設置</span>
。<br /><br />

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_01.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/kawasaki/now_photo_01.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />開業後15年経った川崎駅（明治20年代）<br /><b><br /><span class="bbody">・明治31（1898）年4月1日</span></b>─<span class="bcap">貨物取り扱い開始</span>。<br /><br />

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_02.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/kawasaki/now_photo_02.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />川崎駅前の様子（明治34頃年)<br /><b><br /><span class="bbody">・大正3（1914）年12月20日</span></b>─年<span class="bcap">京浜線電車運転開始(品川～高島間)</span>。<br /><br />

<b><span class="bbody">・大正7（1918）年5月1日</span></b>─<span class="bcap">浜川崎支線開通（川崎～浜川崎間）</span>。<br /><br />

<b><span class="bbody">・大正8（1919）年5月</span></b>─<span class="bcap">南武鉄道（株）設立（多摩川の砂利運搬鉄道後に南武線となる</span>）。
<br /><br />

<b><span class="bbody">・昭和2（1927）年3月9日</span></b>─<span class="bcap">南武鉄道川崎駅～登戸駅開通</span>。
<br /><br />

<b><span class="bbody">・昭和4（1929）年12月12日</span></b>─<span class="bcap">南武線全線開通（昭和19年に鉄道社に買収）。</span>
<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_03.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/kawasaki/now_photo_03.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />川崎大師へ向かう人力車が停車中の川崎駅前(昭和4年)<br /><br />

<b><span class="bbody">・昭和7（1932）年</span></b>─東海道本線、京浜急行との立体交差、ならびに京浜急行線の高架化計画着手。
<br /><br />

<b><span class="bbody">・昭和19（1944）年4月1日</span></b>─<span class="bcap">南武鉄道国有化。</span>
<br /><br />

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_04.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/kawasaki/now_photo_04.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br /><b><span class="bbody">・昭和20（1945）年4月15日</span></b>─<span class="bcap">大空襲により駅舎全焼（急造仮駅舎で営業継続）</span>。川崎市は4月4日の本格的な空襲を受けて以来、8月15日までに数十回の空襲を受け、
川崎駅は4月15日に被災しました。
<br /><b><br /><span class="bbody">・昭和25年10月</span></b>

─川崎駅全面停車の要望が高まり、商工会議所、市議会の努力により横須賀線電車上下各5本停車が実現しました。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_05.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/kawasaki/now_photo_05.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />高架化前の国鉄川崎駅前(昭和31年)<br /><b><br /></b><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_06.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/kawasaki/now_photo_06.jpg" class="mt-image-none" style="" height="190" width="140" /></span><br />川崎ビル(昭和33年)<br /><b><br /></b><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_07.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/kawasaki/now_photo_07.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />国鉄川崎駅前(昭和34年)<br /><b><br /><span class="bbody">・昭和34（1959）年3月31日</span></b>─<span class="bcap">川崎駅民衆駅舎開業（駅事務室、飲食店、ショールーム等4階建）。</span><br />
<br />

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_08.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/kawasaki/now_photo_08.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />川崎駅改札(昭和35年)<br /><b><br /><span class="bbody">・昭和35年6月</span></b>─横須賀線全てが川崎駅に停車することになりました。
<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_09.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/kawasaki/now_photo_09.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />東芝方面を臨む川崎駅(昭和35年)<br />


<b><br /><span class="bbody">・昭和37年11月</span></b>─川崎駅前に公共地下道が造られ、歩行者の便が確保されました。
<br /><br />

<b><span class="bbody">・昭和40（1965）年10月1日</span></b>─<span class="bcap">川崎みどりの窓口開設（マルス102自動座席予約装置）。</span>
<br /><br /><b>・<span class="bbody">昭和48（1973）年4月1日</span></b>─貨物支線、川崎駅～浜川崎駅廃止。
<br /><b><br /><span class="bbody">・昭和55（1980）年10月1日</span></b>

─<span class="bcap">東海道線と横須賀線の分離運転開始（横須賀線は新川崎経由へ）</span>。
<br /><b><br /><span class="bbody">・昭和56（1981）年9月1日</span></b>

─<span class="bcap">貨物取り扱い廃止</span>。<br /><b><br /><span class="bbody">・昭和62（1987）年4月1日</span></b>

─<span class="bcap">東日本旅客鉄道（株）川崎駅開業</span>。
<br /><b><br /><span class="bbody">・昭和63（1988）年6月28日</span></b>

─<span class="bcap">川崎駅橋上駅舎開業</span>。<br /><b><br /><span class="bbody">・平成4（1992）年3月30日</span></b>

─<span class="bcap">自動改札機導入</span>。<br /><b><br /><span class="bbody">・平成19（2007）年8月</span></b>

─隣接する大型音楽ホール「ミューザ川崎シンフォニーホール」（2004年開設）とともに「音楽のまち」川崎の顔として現在も発展しています。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_10.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/kawasaki/now_photo_10.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />川崎駅前(平成19年8月)<br /><div align="right"><br /><br />※ 写真・資料協力：<br />&nbsp;『懐かしのアルバム　神奈川鉄道写真集』　1993　郷土出版<br />
『南武線　いまむかし』　1999　多摩川新聞社<br />
『京急の駅　今昔・昭和の面影』JTBパブリッシング
<br />
JR川崎駅<br />
『古写真で見る明治の鉄道』　2001　世界文化社 </div>]]></description>
            <link>http://blog.ekitan.com/kioku/nowthen/kawasaki.html</link>
            <guid>http://blog.ekitan.com/kioku/nowthen/kawasaki.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">nowthen</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">第17話　川崎駅</category>
            
            
            <Ekitan_sc>-1</Ekitan_sc>
            <Ekitan_category>T00001</Ekitan_category>
            
            <pubDate>Mon, 03 Sep 2007 18:25:16 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第17話　川崎駅</title>
            <description><![CDATA[<div align="right"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="index_mainimg.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/kawasaki/index_mainimg.jpg" class="mt-image-none" style="" height="250" width="500" /></span><br />明治34年頃の川崎駅前。人力車の姿がみえる。<br /><br /><div align="left">3年前に市政80周年を迎えた川崎市。その記念に「音楽のまち」の中心として大ホールが造られました。一方で、歴史ある巨大な地下商店街も今尚、にぎわいをみせています。<br />今回は、新しさの中にも古きよき時代の面影が随所に感じられる川崎駅をご紹介します。</div></div><div><br /></div>]]></description>
            <link>http://blog.ekitan.com/kioku/eki/kawasaki.html</link>
            <guid>http://blog.ekitan.com/kioku/eki/kawasaki.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">eki</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">第17話　川崎駅</category>
            
            
            <Ekitan_sc>-1</Ekitan_sc>
            <Ekitan_category>T00001</Ekitan_category>
            
            <pubDate>Mon, 03 Sep 2007 18:19:49 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第16話　新橋駅　駅の思い出</title>
            <description><![CDATA[<div align="right">真部和昌様　ニュー新橋ビル2F商店街会長・和食「初藤」2代目<br /><br /><div align="left"><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="memory_photo_01.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shinnbashi/memory_photo_01.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" height="190" width="140" /></span>
昭和9年に東京で生まれました。親父が当時の西口のマーケット街に、「真交園」と「呑安」っていう飲食店を出していて、私も20代後半からその店を手伝い、2代目になりました。その後、ニュー新橋ビルに移り、今は2階で「初藤」という和食のお店を開いています。<br /><br />

今の日比谷口、烏森口がある方が西口。汐留駅のある方が東口ね。僕らは西口を仕事でよく使っていたから、東口の方はあまり行かなかったかな。新橋は格式高い駅だったね。レンガ造りでね。駅長の格も高かった。東京、上野に続いて3番目かな。<br /><br />

当時は木造の2階家の商店ばっかり。上に住んで、下で商売をしていた。ツツミビルっていう4階建てのビルがあってね。そこが一番高い建物だったの。そういう ビルが4つ～5つあった。<br /><br />
レトロ調――戦後の間もないころ、どさくさにまぎれていたマーケット調の雰囲気が、今でも西口には多少残っているわけ。赤提灯におでんに焼き鳥屋さん。今
でも商店街にはこういったお店が一番多いんですよ。日本人にとって、飲食店の初期的なものですよね。それぞれのお店には今でも固定のお客さんがついている
ね。<br /><br />
今の駅前のSL広場のところにはステージがあったんです。そこに街頭テレビが2～3台あってね、野球や力道山の様子を写していた。昭和28、29年ごろだ
ね。あのSLは当時はまだなかったんだよ。あとで商店会が持ってきた。昭和50年ごろかな。国鉄が民営化になったでしょ。その記念にね。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="memory_photo_02.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shinnbashi/memory_photo_02.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" height="170" width="190" /></span>新橋は、見ず知らずの人がお互い飲んでいても、飲んでいるうちに気心が知れて、そいういう親近感があふれる街なんです。「大衆的」という言葉がぴったりか
な。そこが、おじんの街であり、赤提灯の街であり、焼き鳥の街。それが、ビルになるとどうしてもその雰囲気が伝わらないんだよね。閉塞感があるでしょ。新
橋みたいにスキンシップできる街の雰囲気は少ないよね。そういった昔ながらの雰囲気は残しつつ、なおかつ周りがもう少し明るくなっていけばいいな。<br /></div></div>]]></description>
            <link>http://blog.ekitan.com/kioku/memory/shinnbashi.html</link>
            <guid>http://blog.ekitan.com/kioku/memory/shinnbashi.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">memory</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">第16話　新橋駅</category>
            
            
            <Ekitan_sc>-1</Ekitan_sc>
            <Ekitan_category>T00001</Ekitan_category>
            
            <pubDate>Mon, 02 Jul 2007 18:16:30 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第16話　新橋駅　駅の証人に聴く</title>
            <description><![CDATA[<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="listen_mainimg.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shinnbashi/listen_mainimg.jpg" class="mt-image-left" style="margin: 0pt 20px 20px 0pt; float: left;" height="200" width="261" /></span>長尾武次さんは昭和8年8月2日生まれ。明治18年に創業した化粧品店の3代目として、新橋ニュービルにもお店を開いていらっしゃいます。ニュー新橋ビル
連合会会長、東京都港区商店街連合会副会長としても活動され、生まれ育った新橋地区活性化のため、地域の方々と様々な取り組みをされています。新橋駅の変
遷を肌で感じてこられた長尾さんに、駅前の移り変わりの様子について伺いました。<br /><br />─
長尾会長が幼いころ、当時の新橋駅はどんな様子でしたか？<br /><br /><b>長尾：</b>僕は虎ノ門で育ったから、新橋は行動範囲。そのころ熱海に別荘があったんで
ね、ちょくちょく親に連れられて新橋駅から行ったり来たりしてたよ。私がまだ幼稚園にあがる前ごろ、昭和12、13年ぐらいのころはまだ東口だけだったと
思います。今もうっすらと覚えてるけれども、立派な駅だったよ。駅舎の格好は今と変わらないけども、天井が高くて、降りると赤じゅうたんがひいてあるの。
そこへね、汽車が来ると、当時は高いビルがないから、まず見えるのが愛宕山。「汽笛一斉　新橋を」のあの歌（鉄道唱歌）の通りの風景がそのまま見えてね。
それから向かい側を見るとね、品川の海が見える。昭和20年3月10日の空襲で全部焼けてしまってね、終戦を迎えたころも、まだまだ同じ雰囲気で、汽車に
乗ればそんな風景が見えた。それで新橋のヤミ市ができた。そのころ新橋の西口ができたんだね。西口にヤミ市が広がってね。そのころ、東口はだいぶ廃れてい
た。東口は降りる人がめったにいない。でも、その方面には築地があるから、朝の買出しの時だけ、商売する人たちの行き来が見られましたね。だから、戦前は
東口だったけど、戦後、西口ができてからは西口がどんどん繁栄していきました。<br /><br />
それから、当時は駅のプラットホームは1本だったんだよ。今は3本あるけどね。ホームの長さも今より短かったから、改札の場所も違ったね。ガード下の赤レ
ンガのアーチは昔のままだよ。新橋～有楽町～東京まで続くあのアーチは大正時代に作られたっていわれているね。松の木を心棒にして作られたと。もう100
年ももってるわけだから頑丈だね。もうさすがに寿命だといわれてるけど...。



<img src="http://ekitan.com/kioku/shinbashi/img/spacer.gif" alt="" height="30" width="1" /><br /><br />─
新橋といえば、サラリーマンの飲み屋街が印象的ですが。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="listen_photo_01.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shinnbashi/listen_photo_01.jpg" class="mt-image-right" style="margin: 0pt 0pt 20px 20px; float: right;" height="160" width="190" /></span><b>長尾：</b>ヤミ市ができて、そこから派生して、どんどん人が集まるから、朝昼晩の食事処が繁盛していったわけですね。汐留は近代的な雰囲気ですが、こちらはそういっ
た昔ながらの商売の雰囲気が残っていますね。汐留のお店はどこも30～40坪ぐらいあるけど、こちらはどこのお店も5～10坪ぐらい。そういうお店が残っ
ていますね。近代性を競ったら競っても競いきれない（笑）。新橋には、心のコミュニケーションのある商売をしていってほしいという思いがありますね。<br /><br />
当時はとにかく食べるのがやっとでね、お米や着るものがなかった。そこで、自然発生的に、家の中に残っているあらゆるものを売ってお米に換えていた。農家
の人たちも、新橋で売った方が3倍も10倍も値段が取れるから、関東周辺の人々ははみんなお米やなにかをを担いで新橋まで持ってくる。そこでたくさん稼い
だ人もいた。だから新橋がヤミ市といわれたんだね。<br /><br />
でも、このままこきたないヤミ市があると困るから、再開発をしてきれいにしようと、都がこのあたり一帯を買い取って、再開発を始めたんですね。それででき
た第一号がニュー新橋ビルだったんです。昭和46年4月16日にオープンしたの。今までこの地域で250軒以上あった商店をまとめて、優先的にこのビルに
入れていったんだね。区分所有ビル、つまりマンションの第一号だね。普通はビルのオーナーがいて、全体で何時に開店、何時に閉店といった統制があるけど、
このビルは、各店舗一人ひとりがオーナーだから、シャッターを下ろしているところもあれば、営業しているところもある。雑居ビルの典型がニュー新橋ビルだ
ね。<br /><br />
まだ交通の状態が今みたいじゃなかったころね、霞ヶ関の官庁がありましてね、そこに勤めている人がほとんど新橋から歩いてきて当時の国鉄に乗って家に帰っ
ていった。だから、当時は会社が終われば必ず新橋を通る。そこで一杯飲んで帰ろうと。「新橋の赤提灯は安い」と言われてね。毎日飲んでもやっていけるお値
段だったからね。それで新橋が繁栄した。でも、だんだん世の中が変わってね、不況の影響からか、官庁の接待が禁止になったりで、世の中の考え方が変わって
きた。それで元気がなくなっちゃったんだね。<br /><br />─
長尾会長のお店は昔から新橋にあるのですか？<br /><br /><b>長尾：</b>お店自体は神谷町で明治18年創業。「長尾化粧品店」ね。その後、しばらくは虎ノ門でやっていたんだけど、昭和31年烏森通りに移動し、新橋の仲間入りを
したわけ。そのころは芸者がいてね。新橋芸者といってね。烏森芸者はそのワンランク下。だから、夜中にお店を開いていても商売になった。芸者さんがみんな
買い物に来てね。検番っていう芸者の元締めがあったよ。ニュー新橋ビルができたから、その中にもお店を持つことになりました。<br /><br />
当時バラックで焼き鳥なんかをやいていた人たちが当時のやり方をそのままビルの中でやってね。お店の中でサンマ焼いたりアジを焼いたりしてたもんだから、
ビルはけむりだらけ。でも、煙がにおわないとお客がこないと(笑)。ヤミ市の発想を引きずってそのままビルになったというわけだね。<br /><br />
今はオーナーが330人ほど、お店は250軒ぐらいあるけど、当時から続いているところは15～16店ほど。そのころは父親の世代が寝ずに24時間働いて
必死な思いでこのビルに入ったけれど、だんだんその土地が高く売れるようになってきて、息子の世代が簡単に売ってしまった。時代の流れだね。住宅も80軒
ほどあったけど、今残っているのは4～5軒。ほとんどは事務所になったね。<br /><br />─
長尾会長にとって、新橋とはどんな街ですか？<br /><br /><b>長尾：</b>
新橋は昔から気取らないいい街。サラリーマンが朝晩通勤で利用してくださった。新橋があったから日本経済の今がある、僕はつくづくそう思う。毎日サラリーマンが鞄を持って行き来してね。そういう人たちが日本を築いた、そう思うね。<br />
<br />
これからは、やっぱり西口を基点に、昔ながらの味わいを残しながら、今風の要素を取り入れた街づくりをしていきたいと考えています。このビルが変れば街も
変わる。今の人たちは、「安心・安全・きれい」を求めるからね。今風だけを重視するわけじゃないけど、お客が望んでいることをも叶えていかないとね。でも
このビルだけが変わっても仕方ない。街もJRも東京も一つになって動かないと進まないね。<br /><br />
今では年に4回、SL広場で大きな古本市を開いています。大盤将棋は毎週土曜に開催。それから「こいち祭り」っていうのもやってるよ。"こいち"ってうの
はね、サラリーマンたちが「小一時間飲んで帰ろうよ！」と話すことからつけたんだよ。新橋でこういった定着した催しがたくさんある。"おじさん"の街とい
うだけでなく、若い人や女性もずいぶんと訪れるようになっています。今は、立ち飲み屋さんに女性がたくさんいるからね。これからもっとたくさんの人が集ま
る街にしていきたいね。<br /><br /><br /><div align="right">聴き手、まとめ：ＮＰＯ「昭和の記憶」<br /> </div>]]></description>
            <link>http://blog.ekitan.com/kioku/listen/shinnbashi.html</link>
            <guid>http://blog.ekitan.com/kioku/listen/shinnbashi.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">listen</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">第16話　新橋駅</category>
            
            
            <Ekitan_sc>-1</Ekitan_sc>
            <Ekitan_category>T00001</Ekitan_category>
            
            <pubDate>Mon, 02 Jul 2007 18:11:20 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第16話　新橋駅　今、むかし</title>
            <description><![CDATA[<br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_01.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shinnbashi/now_photo_01.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br /><b>・<span class="bbody">明治5(1872)年9月12日</span></b>─<span class="bcap">新橋駅（初代）開業</span>。日本最初の鉄道が新橋～横浜間に開通しました。これに伴い、品川、川崎、鶴見、神奈川の各駅が開設され、駅の歴史が始まりました。
<br /><br />

<b><span class="bbody">・明治6（1873）年9月15日</span></b>─新橋～横浜間で初の貨物輸送を開始しました。
<br /><br />

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_02.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shinnbashi/now_photo_02.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />
旅客列車と駅舎の様子(明治10 年頃)<br /><b><span class="bbody"><br />・明治15（1882）年6月25日</span></b>─東京馬車鉄道新橋～日本橋間開業
。<br /><br />

<b><span class="bbody">・明治18（1885）年3月1日</span></b>─日本鉄道品川線開通により、同線列車が新橋まで乗り入れました。
<br /><b><br /></b><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_03.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shinnbashi/now_photo_03.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />
新橋駅構内にさまざまな貨物施設が設けられました（明治中期～後期）<br /><b><br /><span class="bbody">・明治22（1889）年7月1日</span></b>

─<span class="bcap">東海道本線全通</span>。新橋～神戸間に直接列車運転開始
米原・膳所間が開通し、東京～神戸間が全通しました。
<br /><br />

<b><span class="bbody">・明治29（1896）年9月1日</span></b>─新橋～神戸間に初の急行列車を運転しました。
<br /><br />

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_04.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shinnbashi/now_photo_04.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />
駅構内の様子（明治30年頃）<br /><b><br /><span class="bbody">・明治36年（1903）年11月25日</span></b>─東京馬車鉄道が動力を電機に変更し、東京電車鉄道になりました。
<br /><br />

<b><span class="bbody">・明治42年（1909）年12月16日</span></b>─<span class="bcap">烏森駅開業</span>。新橋駅から西方へ約300メートルの地に、中央停車場計画の一環として烏森駅が設置されました。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_05.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shinnbashi/now_photo_05.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />
新橋駅で起きた列車事故の様子。新橋駅末期の改札口周辺の様子が分かる。（大正3年5月12日）<br /><b><br /><span class="bbody">・大正3（1914）年12月20日</span></b>─東京駅開業に伴い、新橋の旅客営業を廃止しました。新橋は貨物専用駅になり汐留に改称、烏森駅を新橋に改称しました。<br /><br /><b><span class="bbody">・大正12（1923）年9月1日</span></b>─<span class="bcap">関東大震災　旧新橋駅舎焼失</span>。
<br /><br />

<b><span class="bbody">・大正15（1926）年3月9日</span></b>─<span class="bcap">再建駅舎竣工　落成式を開催</span>。関東大震災直後の火災で焼失した駅舎が再建されました。
<br /><br />

<b><span class="bbody">・昭和6（1931）年</span></b>─新橋駅の貨物入荷量が150万トンに達し、東京市内の貨物駅では隅田川貨物駅と並ぶレベルになりました。
<br /><br />

<b><span class="bbody">・昭和9（1934）年6月21日</span></b>─<span class="bcap">東京地下鉄道　新橋駅開業</span>。<br /><br />

<b><span class="bbody">・昭和14（1939）年1月15日</span></b>─<span class="bcap">東京高速鉄道　新橋駅開業</span>。<br /><b><br /><span class="bbody">・昭和34（1959）年4月</span></b>

─構内入換用機関車が蒸気機関車から全てディーゼル機関車になりました。
<br /><br />

<b><span class="bbody">・昭和38（1963）年12月12日</span></b>─<span class="bcap">都営地下鉄（都営浅草線）　新橋駅開業。<br /><b><br /></b></span><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_06.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shinnbashi/now_photo_06.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />
新橋駅の有楽町よりで離合する103系の山手線電車(昭和40年11月15日)<br /><b><br /></b><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_07.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shinnbashi/now_photo_07.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />
有楽町―新橋間の高架線を走る電車郡。東海道新幹線の右側には東京高速道路が走っている(昭和46年6月)<br /><b><br /><span class="bbody">・平成7（1995）年11月1日</span></b>─ <span class="bcap">ゆりかもめ　新橋駅開設</span>。
<b><br /><span class="bbody"></span></b><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_08.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shinnbashi/now_photo_08.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><b><span class="bbody"><br />・平成19（2007）年6月</span></b>─サラリーマンの街、新橋駅は現在も通勤に欠かせない駅として、多くの人が利用しています。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="now_photo_09.jpg" src="http://blog.ekitan.com/kioku/usr_img/shinnbashi/now_photo_09.jpg" class="mt-image-none" style="" height="140" width="190" /></span><br />
新橋駅の待ち合わせによく利用されているSL広場(平成19年6月)<br /><br /><br /><div align="right">
※ 写真・資料協力：<br />
『タイムスリップ山手線』大正出版株式会社<br />
巴川享則<br />
塚本雅啓<br />
『図説　駅の歴史　東京のターミナル』河出書房新<br />
交通博物館<br />
ニュー新橋ビル商店連合会事務長　平野壽<br /></div>]]></description>
            <link>http://blog.ekitan.com/kioku/nowthen/shinnbashi.html</link>
            <guid>http://blog.ekitan.com/kioku/nowthen/shinnbashi.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">nowthen</category>
            
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#tag">第16話　新橋駅</category>
            
            
            <Ekitan_sc>-1</Ekitan_sc>
            <Ekitan_category>T00001</Ekitan_category>
            
            <pubDate>Mon, 02 Jul 2007 18:03:14 +0900</pubDate>
        </item>
        
    </channel>
</rss>
