駅の記憶

 
駅の思い出一覧

第19話 下北沢駅 駅の思い出

  • 白川良様 世田谷区北沢在住 洋品店「栄屋」前店主様の思い出
    わたしの父は鵜倉島町の町長さんだったんです。自分は7人兄弟の6番目。子どもの内、一人くらいは商人にという父の意向で当初はわたしも納得できませんでしたが、最終的に商業を営むことになりました。商人になる際に父から受けた訓辞のような言葉が三つあり...
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  • 福島信吉様 世田谷区北沢在住 「ジャズ喫茶マサコ」経営 昭和11年 東京都港区西新橋生まれわたしは新橋の佐久間町というところに生まれました。今は西新橋となっている所ね。店の名前になっている元の店主のマサコは大門の生まれだった。お互い生地は近かったな。彼女は大正14年生まれだったと思うから、ひとまわり年が離れているね。 当初は、マサコがライブに行って、ファンになったジャズミュージシャンがちらほら...
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第18話 渋谷駅 駅の思い出

  • 佐藤里枝様 さいたま市岩槻区在住 昭和20年生まれ様の思い出
    昭和20年生まれのわたしにとって、渋谷駅は東横デパートのある駅でした。 雪谷(大田区)に住んでいた私の家から1番近いデパートでした。 五島プラネタリュームもよくいきました。 渋谷駅周辺は、お屋敷が続き、坂道も記憶にあります。 昭和43年ごろ...
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  • 伊藤雅一様 埼玉県ふじみ野市在住 昭和58年生まれ 109、HMV、マルイ、ロフト...。渋谷駅のハチ公口を降り、センター街の方へ向かうと、購買意欲を誘うような店舗が所狭しと林立している。 渋谷といえば日本でも屈指の流行発信スポットであり、終日人の賑わいが絶えることはない街という印象が強い。しかしそれは渋谷の一面であって、中心部を一歩離れれば違う渋谷の面影を垣間見ることができるのである。 私の通う...
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第17話 川崎駅 駅の思い出

  • 高橋徳治様 町田市南つくし野在住 大正12年生まれ様の思い出
    夏休みは子供の天国。 特に稲毛神社の祭りとなれば、お祭りの事だけが頭にあり、その他は全て忘却の彼方へ。母の用意した祭り半てん、鉢巻、白足袋の三点セットを身にまとい神輿担ぎに繰出します。神社のお膝元の宮本町や東2丁目の神輿も大きくて立派でした...
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  • 細野元春様 中原区下沼部在住 大正8年 堀の内生まれ様の思い出
    京浜急行大師線が六郷橋をくぐるあたりにホームのようなものが見えます。これが大師線の最初の駅、六郷橋跡です。 明治32年1月21日、東日本で最初、日本で3番目の電車が川崎六郷橋―川崎大師間で営業を開業しました。 21日は大師の縁日です。大師...
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  • 一色令子様 神奈川県川崎市 アナウンサー たこ焼き、焼きソバ、フランクフルトにいなり寿司。〆(しめ)はスイカのカキ氷。 これは我が家の夕食メニューです。まるでお祭りの縁日のよう!? そうなんです。東海道の宿場町・川崎は、今でも祭りが盛んに行われ、駅近くの稲毛神社の周りにはずらりと屋台が立ち並びます。 今日は? 何のお祭りだっけ? と考えてしまうほどの頻度。夏になると各町内会から神輿が出て駅前は車線...
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第16話 新橋駅 駅の思い出

  • 真部和昌様 ニュー新橋ビル2F商店街会長・和食「初藤」2代目 昭和9年に東京で生まれました。親父が当時の西口のマーケット街に、「真交園」と「呑安」っていう飲食店を出していて、私も20代後半からその店を手伝い、2代目になりました。その後、ニュー新橋ビルに移り、今は2階で「初藤」という和食のお店を開いています。 今の日比谷口、烏森口がある方が西口。汐留駅のある方が東口ね。僕らは西口を仕事でよく使ってい...
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第15話 飯田橋駅 駅の思い出

  • 横山三四郎様 東京都杉並区 元新聞記者 わたくしは以前、千代田区に住んだことがあります。住所は千代田区飯田橋4-10-1-16××。もとはお堀だったので、江戸城内も同然のところでした。 1980年代の初め、わたくしがまだ現役記者のころのことです。飯田橋界隈を歩いていてお堀を埋め立てている工事を目にしました。「なんということか、自 然の景観を大切にしなければならないこの時代に、歴史としても貴重なお堀...
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第14話 秋葉原駅 駅の思い出

  • 今井孝様(37) 東京都 NPO事務局長 東京で一番印象に残っているのは秋葉原ですね。小学校高学年から電子工作に目覚めた私は、『初歩のラジオ』などの雑誌を読んでは「部品を組み上げてラジオを作りたい...」と思っていました。 実は幼稚園のころ、電気を商売にしていた叔父に連れられて来たときに見知ってはいたのですが、いざ自分で行こうと考えたわけです。 ついに小学生が一人で降り立った秋葉原。 鉄道高架下に...
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第13話 高田駅 駅の思い出

  • 小林孝行様(54) 東京都江戸川区在住 鉄道会社勤務様の思い出
    母の実家が高田でしたので、学生の頃には度々利用しました、当時上野から急行だと「妙高」で、たしか急行券が300円で、特急「あさま」は800円だと記憶していますが昭和45年~頃。今は亡き祖母が駅に迎えに来てくれたなつかしい思い出があります。...
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  • 宮澤克文様(47) 神奈川県小田原市在住 会社員様の思い出
    生まれは旧東頚城郡牧村宮口で昭和45年ごろ(小学校5年生)駅前のデパ-トでおふくろとホットケ†キを食べた印象が強くあの最上階での味は今でも覚えています。 高田駅=高田の夜桜、金谷山スキ†場、直江津駅に比べれば小さな駅でしたが就職で乗った駅も...
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  • 和栗清美様(60) 新潟県 NPO「昭和の記憶」理事の母駅前通りが劇的に変わったのは、「長崎屋」オープンのころでした。そのころ私は20代中頃。オープン当日は、駅前通りに鼓笛隊まで出るほどの大にぎわいで した。「こんなにすごいショッピングビルができるんだ!」という大変な衝撃は、今も忘れません。「長崎屋」開店を機に、駅前道路の拡張工事が始まり、昔は 狭かった駅前通りも広がりました。道路脇の店舗はいっせ...
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第12話 高松駅 駅の思い出

  • 清水健二様(38) 東京都 金融業 学生の頃、瀬戸大橋が開通したので、仲間と二人で、寝台特急「瀬戸」で高松駅に降り立ちました。 当時の高松駅ホームには2つの立ち食いうどんやがありました。秋口の朝、早い時間だったのですが、もくもくと湯気を出していて、さすが高松と思いました。私はホームの付け根にある店に入って、うどんを食べました。 その後、1時間ほど、駅前をぶらぶらして、徳島へ。その時の旅は、一気に四...
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第11話 国立駅 駅の思い出

  • 原洋介様(36) 神奈川県 会社員様の思い出
    中学高校が国立の学校だったので、6年間、国立駅を使いました。当時(昭和60年前後)は、今のように駅周辺にマンションも建っておらず、大学通から国立駅を臨むと、特徴のある三角屋根が空に屹立していました。 しかし、久しぶりに、高校の同窓会があり、...
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  • 原田武夫様(34) 東京都 元外交官・作家様の思い出
    JR国立駅といって私がまず思い出すのは、思えば25年ほど前の春に、小平にある実家のテレビで見た駅舎内の光景だ。当時は私たち「団塊ジュニア世代」の第一弾にあたる、私よりちょっと上の年齢の子供たちが「中学受験ブーム」に巻き込まれつつあったころ。...
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  • 盛池雄歩様(37) 東京都 NPO代表 たしか中2の時、夕方、帰宅すべく、国立駅の改札を通り過ぎた時、いきなり駅員に腕を掴まれ、「それは、何だ?」と私の定期を指さしまた。 動転した私は何のことかわかりませんでしたが、まもなく、定期が切れて1週間も経過していることに気付きました。 当然確信犯ではなく、気付かずに毎日切れた定期を改札で見せていたのです。 その後、駅の事務室に連れて行かれた私は、何人もの...
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第10話 横浜駅 駅の思い出

  • YK様の思い出
    昭和29年、小学5年生でした。横浜駅の少し先に高島機関区があって友達と機関車を見ていました。すると機関手さんが蒸気機関車の運転台に入れてくれて、何て言うんでしょうか、ぐるーって回転して入れ替えをするやつあれに乗せてくれました。今じゃ考えられ...
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  • 匿名希望 G . M横浜駅、はじめて訪れたのは高校生のとき。横浜スタジアムで歌手のコンサートがあるからと、後輩と二人、田舎からでかけて行きました。当時横浜、いや神奈 川県などはほとんど行ったことがなく、まずどの電車に乗れば行けるのか、それすらわかりませんでした。学校が終わって横浜駅になんとかたどりついた後、ま ずは着替えです。学ランでしたから、なんか格好悪かったんですね。持ってきた私服にトイレで着...
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第09話 東京駅 駅の思い出

  • 匿名希望 K . S 杉本さんは常連のお客様やスタッフからも「キャプテン」と呼ばれて慕われていました。 とても気さくな方で、お酒のこと、カクテルのことなどをいろいろと教えてくださいました。 オリジナルカクテルの数々や、おすすめのウイスキーなどもたくさん味わうことができたほか、 その由来やレシピなどについてもお話をうかがうことができ、本当に勉強になりました。 カクテルのオーダーに応え、シェイカーを振...
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第08話 新宿駅 駅の思い出

  • 岡田篤彦 様(41) 東京都 会社役員様の思い出
    新宿駅。その時私は、スバルビルの下にある新宿の目を、昔TVでみて驚いたのを思い出していました。 私が集団就職で上京する、半年ほど前に、昔から良くお世話になっている叔父が、偶然東京に転勤になっており、就職、一人暮らし、学校など、一通りの生活に...
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  • 大崎裕司 様(28) 杉並区 会社員 新宿駅のことについて思い出すときに、やはり常について回るのは、新宿駅そのものに対する記憶というより、そこを通り過ぎるたくさんの人々に対して感じたことの記憶です。 新宿駅が出てくる一番古い記憶は、多分小学校六年生ぐらいのころのもの。初めて一人旅をした時です。確か実家の奈良から群馬の祖母の家まで。その とき、人の波に流されるように、大きな荷物を背負って新宿駅の中を...
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第07話 札幌駅 駅の思い出

  • 朝松健 様(50) 東京都 作家様の思い出
    札幌を離れて三十年になる。 それでもまだ強烈に、この耳に残っているものがある。蒸気機関車の汽笛の音だ。それは車内から聴いた音ではない。陸橋を渡っている時、不意に真下から響き起こった。汽笛は鼓膜を震わせ、この心の底にまで沁みてきた。その音が、...
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  • 盛池雄歩 様(36) 東京都 NPO代表 今から20年近く前の話になります。大学受験のために、初めて北海道を訪問しました。 行きは切羽詰まった受験生、飛行機で新千歳に降り立ったのですが、帰りはやはり鉄道で帰ろうというわけで、 いっしょに受験に来た仲間数人と札幌駅に。 まだ地上ホームだった先代の札幌駅から函館に向かう特急(たしか「北斗」)に乗りました。 受験が終えた気安さもあって、駅弁とサッポロビー...
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第06話 軽井沢駅 駅の思い出

  • 芝間文次郎様(82) 長野県軽井沢町 元国鉄職員様の思い出
    私は、昭和21年3月から国鉄で働き始めました。終戦の翌年から軽井沢駅におりました。 昭和25、6年ごろだったかと思いますが、草軽宿舎の大火というのがありました。草軽交通の社宅がほとんど焼けてしまったんです。 当時国鉄は、小諸方面から来た一部...
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  • 中島松樹様(71) 長野県軽井沢町 元郵便局員 鉄道に関わるおもしろい話といえばね、明治26年の4月に碓水アプト式トンネルが開通して、その26年4月に伊香保にいた徳富蘆花が鉄道省の列車の初乗り招待でやってきた。 しかし、その日は雨で全然景色が見えない。もっと気候の良いときにまた来たいといって、その年の11月に信越線で再度軽井沢に来たんです。そのときは紅葉がきれいで、素晴らしい景色だったと。 それで...
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第05話 宮崎駅 駅の思い出

  • 竹田利夫様(86) 宮崎市 元宮崎駅職員 私が宮崎駅に就職したのは昭和13年1月、17歳の時でした。電信掛として勤務しましたが、3年後には戦争で兵隊へ。昭和21年の9月に復員しました。 終戦直後は、お客さんが1日も早く乗降に不便のないようにと、空襲の被害でバラバラになってしまった駅をとにかく早く建て直すのに必死。木造で素早く作ってしまったのではないでしょうか。復員した昭和21年当時は、バラック小屋...
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第04話 鎌倉駅 駅の思い出

  • 福中皓三 様(81) 鎌倉市 私は、昭和30年ごろ、30歳前後で東京から鎌倉に移り住んだのですが、小学生のころから、夏になるとちょくちょく鎌倉の貸別荘に遊びに来ていました。 当時は、別荘といっても今でいう別荘とは違って、小さな家でした。そのころ、鎌倉は軍人さん――特に海軍の軍人さんが多かったです。 戦前は、葉山に泳ぎに行くと、岬に海軍の練習場がずらーっとありました。森戸海岸にもよく行きましたが、そ...
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第03話 熱海駅 駅の思い出

  • 磯正勝 様(62) 熱海市 丹那屋主人 熱海駅前の仲見世通りに饅頭屋「丹那屋」ができたのは、私が生まれるより前、昭和9年のことでした。この年は、丹那トンネル開通の年。トンネル開通とともにできたお店です。 私は3代目。昔は、お土産に日持ちがする羊羹がよく売れていたそうですが、徐々に売れ筋は羊羹よりもお饅頭に移っていきました。 忘れられないのは、昭和25年に起きた駅前大火。そのときは、この店も、そして...
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第02話 上野駅 駅の思い出

  • 三上敏和 様(74) 新潟県上越市 元国鉄職員戦争中の人手不足で、私は13歳で国鉄の職員となりました。最初に入ったのが上野変電所で、アメ横に面するガードのあたりにありました。私と同時期に入っ た人は2人いて、ともに2歳上でした。戦争が終えると、上野変電所にも、元勤めていた人が引き揚げてきて、何人も顔を出し、再就職しました。その人たちに もたいへんお世話になりました。たしか5、6人帰ってきたかと思い...
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第01話 下関駅 駅の思い出

  • 荒瀬正廣 様(56) 下関駅弁当勤務第7代目の下関駅長藤本さんが(下関駅弁当の)2代目社長でした。12代目、17代目、22代目、27代目の駅長も、駅長を務めた後、社長に就きました。 国鉄時代は、駅長を務めた人が社長になっていたものでした。今の会社の位置は、創業当時と違うのですが、当時は、竹籠に駅弁を入れて駅まで運び込みまし た。 うどんのつゆは、担いで行ったのですが、当時は、つゆの蓋なんてなかった...
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