駅の記憶

第13話 高田駅
駅の思い出

第13話 高田駅 駅の思い出

  • 小林孝行様(54) 東京都江戸川区在住 鉄道会社勤務
  • 母の実家が高田でしたので、学生の頃には度々利用しました、当時上野から急行だと「妙高」で、たしか急行券が300円で、特急「あさま」は800円だと記憶していますが昭和45年~頃。今は亡き祖母が駅に迎えに来てくれたなつかしい思い出があります。

第13話 高田駅 駅の思い出

  • 宮澤克文様(47) 神奈川県小田原市在住 会社員
  • 生まれは旧東頚城郡牧村宮口で昭和45年ごろ(小学校5年生)駅前のデパ-トでおふくろとホットケ-キを食べた印象が強くあの最上階での味は今でも覚えています。
    高田駅=高田の夜桜、金谷山スキ-場、直江津駅に比べれば小さな駅でしたが就職で乗った駅も高田駅です。
    数年前に新しくなり当時の面影はありませんが、生まれた故郷の駅は思い出が一杯です。
    新幹線もあと一歩ですが在来線は是非残して欲しいもんです。

    牧区生まれで小田原に住みついた:田舎物より

第13話 高田駅 駅の思い出

  • admin
  • 二人の方から「高田駅」投稿を頂戴しました。お二人とも昭和45年頃の思い出です。ちょうど高度経済成長がひと段落し、大阪で万博のあったこの年。
    激動する都市とは趣きが異なり、高田駅には変わらず雪が降っていたことでしょう。
    小林さんの投稿にあるのはおばあちゃんの思い出。田舎にいったときに出迎えてくれる身内の温かさは忘れることができませんよね。
    ホットケーキの投稿をくださった宮澤さんのお母さんは、昨年の12月に亡くなられたそうです。投稿を拝見して、筆者も母に連れられてデパートに行った思い出がよみがえりました。
    忘れてはならない思い出を、駅の思い出とともに、大事にしていきましょう。

第13話 高田駅 駅の思い出

  • 和栗清美様(60) 新潟県 NPO「昭和の記憶」理事の母

    駅前通りが劇的に変わったのは、「長崎屋」オープンのころでした。そのころ私は20代中頃。オープン当日は、駅前通りに鼓笛隊まで出るほどの大にぎわいで した。「こんなにすごいショッピングビルができるんだ!」という大変な衝撃は、今も忘れません。「長崎屋」開店を機に、駅前道路の拡張工事が始まり、昔は 狭かった駅前通りも広がりました。道路脇の店舗はいっせいに新しく。今でも覚えているのは、駅前の佃煮屋さん。とても大きなお店だったのですが、今はタク シー会社とバスの待合所に姿を変えてしまいました。

管理者コメント

数年前は「シャッター通り」と言われた高田駅前通りも、再開発でどんどんと様変わりをしました。しかしながら、一番賑わったという昭和45年前後の駅前の様子は何だか微笑ましく、上越市民としては当時の賑わいを取り戻せたらと思います。みなさまからの投稿も、是非お待ちしております。

NPO「昭和の記憶」

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駅の記憶では、みなさまより駅にまつわるお話を随時募集しております。懐かしい思い出話、駅の以外な一面、心あたたまる話など、ありましたら駅の記憶までご投稿ください。
みなさまのご投稿をお待ちしております。

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