駅の記憶

第16話 新橋駅
駅の思い出

第16話 新橋駅 駅の思い出

  • 真部和昌様 ニュー新橋ビル2F商店街会長・和食「初藤」2代目

    memory_photo_01.jpg 昭和9年に東京で生まれました。親父が当時の西口のマーケット街に、「真交園」と「呑安」っていう飲食店を出していて、私も20代後半からその店を手伝い、2代目になりました。その後、ニュー新橋ビルに移り、今は2階で「初藤」という和食のお店を開いています。

    今の日比谷口、烏森口がある方が西口。汐留駅のある方が東口ね。僕らは西口を仕事でよく使っていたから、東口の方はあまり行かなかったかな。新橋は格式高い駅だったね。レンガ造りでね。駅長の格も高かった。東京、上野に続いて3番目かな。

    当時は木造の2階家の商店ばっかり。上に住んで、下で商売をしていた。ツツミビルっていう4階建てのビルがあってね。そこが一番高い建物だったの。そういう ビルが4つ~5つあった。

    レトロ調――戦後の間もないころ、どさくさにまぎれていたマーケット調の雰囲気が、今でも西口には多少残っているわけ。赤提灯におでんに焼き鳥屋さん。今 でも商店街にはこういったお店が一番多いんですよ。日本人にとって、飲食店の初期的なものですよね。それぞれのお店には今でも固定のお客さんがついている ね。

    今の駅前のSL広場のところにはステージがあったんです。そこに街頭テレビが2~3台あってね、野球や力道山の様子を写していた。昭和28、29年ごろだ ね。あのSLは当時はまだなかったんだよ。あとで商店会が持ってきた。昭和50年ごろかな。国鉄が民営化になったでしょ。その記念にね。

    memory_photo_02.jpg新橋は、見ず知らずの人がお互い飲んでいても、飲んでいるうちに気心が知れて、そいういう親近感があふれる街なんです。「大衆的」という言葉がぴったりか な。そこが、おじんの街であり、赤提灯の街であり、焼き鳥の街。それが、ビルになるとどうしてもその雰囲気が伝わらないんだよね。閉塞感があるでしょ。新 橋みたいにスキンシップできる街の雰囲気は少ないよね。そういった昔ながらの雰囲気は残しつつ、なおかつ周りがもう少し明るくなっていけばいいな。

管理者コメント

今回は、ニュー新橋ビル連合会事務長の平野壽さんにご協力いただき、「駅の証人に聴く」の長尾武次さん、「駅の思い出」の真部和昌さんにお話をうかがいました。インタビュー当日は、ニュー新橋ビル6階にある事務局にお邪魔し、ビル内、そして新橋駅周辺の街を案内してくださいました。ビルの中には昔ながらの雰囲気がただようお店がたくさん残っていて、ぐるぐると歩いているだけで、なんとも懐かしい気分に包まれました。そんな空間がいつまでも新橋駅には変わらずあってほしいと強く思いました。

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