駅の記憶

第19話 下北沢駅
駅の思い出

第19話 下北沢駅 駅の思い出

  • 白川良様 世田谷区北沢在住 洋品店「栄屋」前店主
  • わたしの父は鵜倉島町の町長さんだったんです。自分は7人兄弟の6番目。子どもの内、一人くらいは商人にという父の意向で当初はわたしも納得できませんでしたが、最終的に商業を営むことになりました。商人になる際に父から受けた訓辞のような言葉が三つあります。

    1)賭け事をするな
    2)他人に迷惑をかけるな
    3)人にいやがられるようなことをして金儲けをするな

    これら三箇条はたいせつに思ってきました。昭和35年に養子に入って、北沢の栄屋の経営者になったんですが、当時からこのあたりは二代目が多かったですね。商店街で最大なのは、「一番街」、次が「北口駅前」その次が「東会(あずまかい)」、4番目が「南口」(白川さんの経営する栄屋は、下北沢南口商店街入口にあります)なんですよ。
    界隈では、南口が一番後発の商店街なんです。商店街振興の苦労は一筋縄ではいかなかったです。お客さんに来てもらおうと、他の店主の方と共同でジャズダンスの会や、様々な催しを試みました。

    もともと南口周辺は住宅地。駅からなだらかに降りていく下り坂も両側は静かな住宅地でした。その後に商店街ができだしたけど、貸しビルにお店が入っている形態がその頃の特徴で、それは今でも変わっていない。この辺りもみんな貸しビルです。賃貸で店をやるところがほとんどなの。だから入れ替わりは激しいね。

    私のところは店を息子が継ぎました。息子は現在、南口商店街の副理事長もしています。本多劇場は下北沢のひとつの中心地だけど、はじめは経営者の本多さんが、借家みたいなところでバーをやりだしたんです。知り合いの俳優をお店に連れてきて、バーをやった。これが流行って、それからかなあ。若者が集まるようになったのは。俳優に会えるお店ということで流行ったんだね。昭和40年ごろのことです。

    下北沢の古い祭りで天狗祭りというのがあるんですよ。もともとは北口の方に住む方々のお祭りだったんだけど、わたしの時代に、南口も入って一緒に祭りに参加するようになりました。

    再開発はなかなか地元の商店街にとっては難しい問題でね。たとえば、わたしは出身地の伊勢で南海地震という大きな地震に遭ってその揺れや波の被害を十分に知っていましたから、小田急線の高架には実をいうと反対でした。でも同調してくれる人は少なかったね。駅や商店街、界隈をよくしようという気持ちは人一倍もっていて、最近では井の頭線の土手を駐輪場にしようという活動をしています。

    下北沢からは離れますが、昭和35年に親戚の人と二人で東京にきたときに、中央線で神田の辺りを通ったんです。その時にニコライ堂が見えてね。藤山一郎さんの歌であるでしょう。「ニコライの鐘」という。あの歌を知っていたから、あぁ自分も東京に来たんだなあとしみじみと思ったね。それくらいニコライ堂はインパクトがあった。

第19話 下北沢駅 駅の思い出

  • 福島信吉様 世田谷区北沢在住 「ジャズ喫茶マサコ」経営
    昭和11年 東京都港区西新橋生まれ

    memory_photo_02.jpgわたしは新橋の佐久間町というところに生まれました。今は西新橋となっている所ね。店の名前になっている元の店主のマサコは大門の生まれだった。お互い生地は近かったな。彼女は大正14年生まれだったと思うから、ひとまわり年が離れているね。

    当初は、マサコがライブに行って、ファンになったジャズミュージシャンがちらほら来てくれるという感じだったと思う。お店を手伝うようになったのは昭和 30年代からだけど、昔は、多摩や八王子へ移る大学もなかったから、下北沢に住んで水道橋や飯田橋あたりへ通学する大学生もたくさん居たね。昔から学生と 若いサラリーマンが多かったと思う。

    駅周辺の界隈の変化としては、忠実屋が昭和40年代にできた経緯を覚えている。うちの隣には北沢エトワールという映画館があった。アズマ通りの方には今ス ポーツクラブになっているところだけど、オデオン座。北口のみずほ銀行の横がグリーン座。ゼンモールという北口の先の洋品店のあるところ、あれが、北沢劇 場。洋画をやっていた。エトワールでは、日本の映画をやっていたよ。美空ひばり、中村(萬屋)錦之介の出演作品だね。ただ、エトワールは火事になった。 ちょうど今時分、昼の2時くらいに焼けた。昭和40年代。そのあとに忠実屋になった。映画館の跡地にスーパーマーケット。時代を反映しているね。忠実屋 は、いまグルメシティになっているけど、あの建物も近く解体するらしいと聞いています。

    ジャズ喫茶というものは、昔はいたるところにあった。たまり場だね。多様な喫茶店が昔はあって、歌声喫茶、美人喫茶、純喫茶などなどがあったね。ジャズは 全然嫌いじゃないけど、そんなに好きというわけでもなかったんですよ。遊び場がジャズ喫茶だった、ということなんだね。今の大学生や若い人たちの遊び場は 多様化しているでしょうが、昔はあまりなかったんでね。

    お客さんの様子も変化があるね。うちは54年経っているから、子供を連れて見える人、最近は孫を連れて見える人も居る。でも、大学生と若い人が多いね。

    同窓会をやる人がいるね。土日にね。貸切はやっていないけど。懐かしがって、コーヒー飲んでジャズ聴きながら同窓会。お店をやっている中では、昭和50年 前後が一番よかった。その頃は下北沢にはジャズ喫茶が5、6店舗あったかなあ。全般に商店街が忙しくて活気があった。今ある活気とは違う活気だね。まだ ファーストフードのお店はなかったんですね。わたしはファーストフードは好きでよく食べましたが、ファーストフードが進出する前後に街は変わってきたと思 う。1980年前後だったか、駅にくっつくようにしてマクドナルドができた。それができる前は「名店街」でした。

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