
NPO「昭和の記憶」
日々失われてゆく高齢者の記憶。これを後世に残すのが私たちの使命です。
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中学高校が国立の学校だったので、6年間、国立駅を使いました。当時(昭和60年前後)は、今のように駅周辺にマンションも建っておらず、大学通から国立駅を臨むと、特徴のある三角屋根が空に屹立していました。
しかし、久しぶりに、高校の同窓会があり、大学通から駅を眺める機会がありましたが、背後に重厚なマンション群が建ち並び、駅を覆い隠すような風情になっていました。みんなでがっかりしたのがつい数年前のことです。
さらに、この秋、中央線の高架化にともない、駅が建て替えられるということでさらにびっくり。どこかに保存できないものかと思います。
JR国立駅といって私がまず思い出すのは、思えば25年ほど前の春に、小平にある実家のテレビで見た駅舎内の光景だ。当時は私たち「団塊ジュニア世代」の第一弾にあたる、私よりちょっと上の年齢の子供たちが「中学受験ブーム」に巻き込まれつつあったころ。小学6年生になった私の実兄も、いやいやながらその巻き込まれた一人だった。
今では全く考えられないことだが、当時の中学受験は「スパルタ教育」そのもの。出来ない子供が深夜1時くらいまで塾に残されるのは当たり前で、ぼやぼやしていると塾教師の鉄拳制裁が女の子でも容赦なく行われていたというのだから、今でも身震いする。
後に私の母校となった桐朋中学への進学率ナンバー1で有名なK予備校は、とりわけ「スパルタ教育」の総本山であった。2月1日の受験当日ともなると、改札口を出たところで塾教師が待ち構え、まだ紅顔の美少年である生徒たちにまずは往復ビンタ。「気合をいれる」のだという。多摩に得意な社会現象として、毎年、テレビが取材に来ていた。一見穏やかな国立駅と痛烈な「ビンタ」。ひどい話だが、あのときのがんばりが今の自分をつくっていると思うと、改札を通るたびにほろ苦く思い出す出来事であったりもする。
学生時代に利用した駅というのは、想い出深いものです。国立駅は三角屋根の瀟洒なイメージと、街路樹の生い茂る大学通りのイメージで、全体で「国立」というなんとも言えない雰囲気を作り出しています。今回、駅舎が解体されるということですが、投稿をいただいた3名の方も、駅と学校が一緒になった想い出になっていらっしゃいますね。甘く、ほろ苦い青春の一ページを国立駅を利用して過ごせたことを羨ましく思いながら拝読しました。みなさまからの投稿も是非お待ちしております。
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みなさまのご投稿をお待ちしております。
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