駅の記憶

第17話 川崎駅
駅の思い出

第17話 川崎駅 駅の思い出

  • 高橋徳治様 町田市南つくし野在住 大正12年生まれ
  • 夏休みは子供の天国。
    特に稲毛神社の祭りとなれば、お祭りの事だけが頭にあり、その他は全て忘却の彼方へ。母の用意した祭り半てん、鉢巻、白足袋の三点セットを身にまとい神輿担ぎに繰出します。神社のお膝元の宮本町や東2丁目の神輿も大きくて立派でしたが、我が町内の堀の内の神輿は白木造りの神々しさがあり自慢でした。

    掛声はワッショイワッショイ、今は色々な掛声があるがピンとこないです。やはり神輿を担ぐのはワッショイワッショイでないと気分が乗りません。
    廻る先々でバケツやホースで頭から水をかけられます。勿論、時々交代するので疲れはありません。
    友達の中でも神輿を担ぐのが最高の喜びと思っているのは、竹組では瀬戸物屋の吉秀次君、板金屋の石川丈信君で、其の証拠には、戦後祭りが復活し再び神輿が担げるようになってからは、神輿担ぎは全てに優先するとの信条で、8月1日2日3日の3ヶ日は店頭の臨時休業の張り紙を出して、町内の祭りの行事全般に気配りしながら、神輿担ぎに夢中になっていました。

    夜は兄弟や友達と何回も神社の境内を廻って見物しながら、夜遅くまで遊んでいました。特に沢山の見世物小屋が出ていた中で、人形劇のチャンバラが面白く、切られた方は赤い毛糸の紐を何本もたらして血をながしているとゆう感じで、その場面が面白くてすごく印象的でした、客寄せに時々幕を開け内を見せるので入場しなくても楽しめました。金魚すくいでもらった金魚は、毎年金魚鉢に入れ、飼っても冬を越す事が難しかった様です。

第17話 川崎駅 駅の思い出

  • 細野元春様 中原区下沼部在住 大正8年 堀の内生まれ
  • 京浜急行大師線が六郷橋をくぐるあたりにホームのようなものが見えます。これが大師線の最初の駅、六郷橋跡です。
    明治32年1月21日、東日本で最初、日本で3番目の電車が川崎六郷橋―川崎大師間で営業を開業しました。

    21日は大師の縁日です。大師参りの客のために開業した鉄道だといえます。東海道本線は明治5年に開通し、国鉄川崎駅もそろそろにぎわいをみせはじめたところです。ところが大師線は国鉄から遠く離れた六郷橋が起点です。
    小川松五郎率いる人力車組合「だるま組」の猛反対にあったからです。大師の参拝客が電車にとられ、商売があがったりになるという理由からです。その時の裁定により、六郷橋基点となったそうです。

    以後多くの大師参りの人々は、川崎ステーションから六郷橋まで人力車に乗り、そこから大師電気鉄道に乗り換えて、桜並木の新道をのんびり大師へむかっていきました。こんな話を聞きました。
    人力車の車夫の中には悪い人がいて、医王寺を大師だといって降ろしたということです。料金は均一だったそうです。

    この大師新道は、コロムビア前を過ぎ、久根崎の信号を通過し、味の素そばを通って大師と通じていました。今でも「花見橋」というバス停が残っています。桜並木におおわれ、その中を電車が走る。梨の花が咲くころは一段とあざやかで、遊園地のおとぎ電車のようだと父親がよく話をしていました。

第17話 川崎駅 駅の思い出

  • admin
  • 「大師電気鉄道」と「祭り」のエピソードは、NPOかわさき歴史ガイド協会理事長吉野智佐雄さんよりご紹介いただきました。
    「駅の証人に聴く」で小林一郎さんが「にぎやかな場所」と語ってくださった、大師周辺。川崎大師周辺のにぎわい、子供時代の夏の楽しみの稲毛神社のお祭り、という思い出を小林一郎さんも話の端々で語ってくださいました。
    最後に写真撮影をお願いすると、「じゃあ、着替えなきゃ、こんなアロハシャツじゃ…」とおっしゃる小林さんでしたが、息子さんの「いいじゃない、林家人形店のユニフォームなんだから」との一言で、素敵な和柄シャツでの撮影となりました。また、「撮るんだったら、人形がたくさんある二階に行こう」と、案内してくださいました。
    大学時代カメラ倶楽部に入っていた小林さんを前にシャッターをきるのは緊張しましたが、撮影した画像を見せると、「いいんじゃない」と笑顔でおっしゃってくださいました。
    「駅の思い出」は小林さんより15歳前後早くお生まれになっている、細野さんと高橋さん。お二人の思い出からも小林さんと同じ川崎への思いがひしひしと伝わってきます。川崎大師、稲毛神社のお祭りは川崎っこにとっては今も昔も、大切なかけがえのないものなのですね!なんだかとても心が温かくなりました。

第17話 川崎駅 駅の思い出

  • 一色令子様 神奈川県川崎市 アナウンサー

    たこ焼き、焼きソバ、フランクフルトにいなり寿司。〆(しめ)はスイカのカキ氷。
    これは我が家の夕食メニューです。まるでお祭りの縁日のよう!?
    そうなんです。東海道の宿場町・川崎は、今でも祭りが盛んに行われ、駅近くの稲毛神社の周りにはずらりと屋台が立ち並びます。
    今日は? 何のお祭りだっけ? と考えてしまうほどの頻度。夏になると各町内会から神輿が出て駅前は車線規制の嵐です。

    特に我が家は、義父が町内会長ということもあって祭で出す食べ物のメニュー作りから熱が入ります。
    でも私が川崎に嫁いだ15年前。実家の両親はかなり心配したようです。まだ新米の嫁として祭りに携わっていたころ、実父が突然、祭りの会場にやってきたことがありました。
    父からすれば「風紀の悪い川崎...。しかも祭りなんて...。娘は酔っ払いにからまれているのではないか」と気が気ではなかったとか。

    父の予想とは裏腹に、仮装までして(ピエロになりました!)和気藹々とカキ氷を配っていた私――。
    イチゴの氷をほおばっりながら、父親は私の幼い頃を思い出したと笑っていました。
    父の言うとおり、子どものころ大好きだったのが町の小さなお祭り。浴衣を着て、ヨーヨー釣り、わたあめ、あんずあめ、焼きもろこし、威勢のいい金魚すくいのお兄ちゃん...。
    川崎駅に降り立って、太鼓の音が聞こえてたら、そんな子どものころにタイムスリップするようなウキウキと落ち着かない気持ちになるのです。

管理者コメント

今やすっかり川崎市民として町内会を切り盛りされている一色さん。 毎年お祭りのころには大忙しのようですが、これからも町内のみなさんそろって、川崎の街を盛り上げていってほしいと思います! ご投稿ありがとうございました。

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