
NPO「昭和の記憶」
日々失われてゆく高齢者の記憶。これを後世に残すのが私たちの使命です。
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私は、昭和21年3月から国鉄で働き始めました。終戦の翌年から軽井沢駅におりました。
昭和25、6年ごろだったかと思いますが、草軽宿舎の大火というのがありました。草軽交通の社宅がほとんど焼けてしまったんです。
当時国鉄は、小諸方面から来た一部の列車は軽井沢で止まり、乗客は軽井沢でいったん降りて外へ出、軽井沢で編成された列車に乗るために並ばなければなりませんでした。そうして並んでいる人たちのところにも、草軽宿舎が焼けたときの煙がもうもうと流れてきたのですが、草軽の人が非常に気の毒だったので、「草軽に義援金をお願いします」と箱を出したところ、大金が集まり、それを草軽に寄附されたということがありました。
新しい客車に乗るために並んでいる人たちに、寄附をお願い申し上げたわけです。当時の人たちは、助け合いの気持ちが今よりも強かったのではないかなと思います。それに、当時はどんな偉い方も国鉄を使いました。だから、いろいろな政財界の偉い方が駅を利用していましたよ。尾崎咢堂翁もそうですし。娘さんと跨線橋を渡って――その姿、覚えていますよ。
読んでいて、嬉しくなってしまうエピソードですね。
当時の火事は大変なことだったと思いますが、列車を待つ人たちの温かい気持ちが伝わってきました。尾崎咢堂の娘さん、相馬雪香さんには、私たちのNPOは聴き取りをしたことがあります。よく軽井沢にいらっしゃっていたとおっしゃっていました。
鉄道に関わるおもしろい話といえばね、明治26年の4月に碓水アプト式トンネルが開通して、その26年4月に伊香保にいた徳富蘆花が鉄道省の列車の初乗り招待でやってきた。中島さんは、軽井沢に関する著書もある、軽井沢について知り尽くした方です。 想い出だけでなく、こういった情報を寄せていただくのもおもしろいですね。 大正初期のころ、尾崎行雄、テオドラ夫人、品江さん、雪香さんが散歩しているスナップ写真の絵はがきを見つけ、持っていらっしゃるそうです。
NPO「昭和の記憶」
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