第03話 熱海駅
駅の思い出
第03話 熱海駅 駅の思い出
- [投稿日:2006年3月31日]
磯正勝 様(62) 熱海市 丹那屋主人

熱海駅前の仲見世通りに饅頭屋「丹那屋」ができたのは、私が生まれるより前、昭和9年のことでした。この年は、丹那トンネル開通の年。トンネル開通とともにできたお店です。
私は3代目。昔は、お土産に日持ちがする羊羹がよく売れていたそうですが、徐々に売れ筋は羊羹よりもお饅頭に移っていきました。
忘れられないのは、昭和25年に起きた駅前大火。そのときは、この店も、そして、ここ、仲見世通り商店街も全焼してしまいました。ちょうど4月3日。私の
小学校の入学式前日の出来事でした。一面焼け野原になってしまいましたが、その後、区画整理がされ、昭和27年に、現在のこのお店が建ちました。
当時は、アーケードがなく、日よけを出していたのですが、昭和31年にアーケードが完成し、お客さんが雨でも買い物できるようになりました。そのアーケードも半世紀以上の年季が入っています。
昔、新婚旅行や団体のお客さんが多い時には、600箱ものお饅頭が売れました。当時、ある旅館と契約して、そこに卸すために朝早くから起きて、できたての
お饅頭を届けていました。時には数人、多いときには何十人分と。前日につくったお饅頭を出すなんて悪いから、そこのお客様のために、早いときは4時頃から
起きて仕込みをしました。
JRが国鉄だった時代は、午前9時発、東京行きの準急「伊豆いでゆ号」が満席であった日が何日も続いたそうです。
昔、といっても私が生まれるずっと前――昭和の初めごろの話なのですが――こんな話を聞きました。当時は、親同士が子どもの結婚を決めていた時代ですか
ら、新郎新婦はお互いの顔をしっかり見ることもなく、そのまま新婚旅行で熱海に来ているということも珍しくありませんでした。当時の熱海駅は、多くの列車
が到着していましたが、改札は一人ずつ通るので、改札を通るときにお嫁さんは旦那さんの後ろ姿を見失ってしまったり、または違う男性の背中を旦那さんだと
思いこみ、ついていってしまうこともあったそうです。改札を出ると、旅館の番頭さんがお出迎えをしていますが、お嫁さんは旅館の名前など聞かされていない
し、旦那さんの顔もよくわからないので、目の前を歩く男性に従い、番頭さんに連れられて宿に向かったわけです。――つまり、相手を取り違えてしまうなんて
こともあったそうですよ。
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