第10話 横浜駅
駅の証人に聴く
大熊裕司さんは昭和25年11月25日生まれ。生まれも育ちも生粋のハマっ子です。大熊さんが相鉄ジョイナス店の社長であり店長を務めていらっしゃる「実
門堂印舗」は明治18(1885)年の創業。122年の歴史を誇り5つの店舗をもつ、横浜市で一番古い印章店です。白蹊(はっけい)の号を持ち、書家であ
り篆刻家でもある大熊さん、今回、「駅の記憶」としては初めて私鉄の駅ビルの店子さんからお話を伺いました。ジョイナス開店から33年、ずっと横浜駅「西
口」の発展を見続けてこられました。
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横浜駅との関わりをお伺いします。まずは横浜駅にお店を出した時期はいつ頃でしたか。
大熊:
はい、私どもがこのジョイナスに出店したのは、昭和48年11月でしたね。
相鉄ジョイナスというビルができる以前に、横浜駅名品街という商店街がありました。今年がその名品街ができて西口生誕50周年のキャンペーンをしているの
ですが、昭和32年にたしか商店街ができて、その後その横浜駅名品街を潰して、新たに相鉄ジョイナスというものが建て替えられた、それが昭和48年11月
にオープンしたわけです。そのときに私どもはここに出店をしたということになります。ですから、実門堂のジョイナス店はジョイナスのオープン当初からある
という、こういう時代の目まぐるしい時代なものですから、ジョイナオープンした当初230くらいあった店舗も、もうそのときから減ってきまして...
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今、何店舗くらい残っているのですか
大熊:
今、150...というか今もうどんどんスクラップアンドビルドでね、辞められた方とか、辞めさせられた方とか含めて、もう現在で150店舗くらいになりましたね。
残っているのが不思議なくらいです。
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その中で、実門堂さんと同じく最初からという会社、お店はいくつかありますか?
大熊:もう名前が変わってたりしますから。このジョイナスの2階で数えれば、当時からオープンされているお店は6、7店舗しかありません。以前は28店舗あったんですよ。
我々以上に老舗といわれたお店なんかもみんな退店されたり、...辞めさせられたり、やっぱりこの非常に厳しい世の中なので、運営する会社とのコンセプト合わなかったりとか、そういうこともあるんでしょう。
それくらいに厳しい、場所的には非常にいい場所だといわれながらも、それがゆえに非常に残っていくのがなかなか、名前があるから、古いからといってでは全く生き残れない世界、ですね。
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オープンの年というのはオイルショックの年ですね。
大熊:
そうです。コンクリートとか資材が全然足らなくて、もうオープンが危ぶまれたなんてこともありましたけれども、かろうじて滑り込みセーフでオープンしました。そのときごたごたしていたのが記憶にありますね。
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横浜駅について、昔話のようなものがあれば教えてください。
大熊:
ここは相模鉄道っていう会社が経営されていますが、相模鉄道は実は横浜駅まで延長してこなかったんですね。実はひとつ手前の駅で止まってたんです。
その当時は砂利運搬線っていわれたような、人は二の次で物資・砂利を運んでいるような鉄道会社だったんですよ。それで横浜駅まで延伸できて。いわゆる「西
口」というものを相模鉄道という会社が、要するに一企業が、こういう地域をね、開発したっていうのは日本では初めてといわれるくらいなかなか少ないそうで
す。それで今日の発展をしてきたという話は会社の古い人もよく話していましたね。
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「西口」という言葉は、特に横浜駅西口を指すイメージもありますね。
大熊:
そうですね。「西口」で通ってしまうという感じですね。少なくとも我々は「西口」で通ってしまいますから、最近は東口も変わってきましたけどね。
自分の子供の頃を思い出すに、当時は東口がメイン玄関でしたけど、横浜駅は。
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えっ、逆のイメージをもっていました。
大熊:
ええ、それはもう記憶にありまして。西口は本当に裏口という感じで、東京駅の赤レンガではありませんけれども、東口のほうが茶色いレンガ造りの建物で、バスも出て、市電も通ってましたので、東口がメインだったんですね。
それこそ駅前ですよね。まあロータリーっていう感じはないんですけれど、当時はショッピングセンターはございませんので、いわゆるターミナルという意味で東口がメインだったと思うんです。
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今は東口駅前を首都高速道路が覆っていますが当時は?
大熊:ありません。全然ありません。今目の前に高速が通っていますが、そこに市電が通っておりました。市営バスなども拠点で出ておりましたので、ほとんど横浜と
いえば東口というのが玄関口で、古い写真なんかを見ればわかりますよ。昔のほうが重厚な建物で、東京駅とは言わないけれど。
逆に、西口は裏街道っていうか、裏口といわれるような、寂れたような存在だったんですね。ですからこの横浜駅を開発するにあたって、先ほどお話した横浜駅
名品街というデベロッパー主体で、商店街をはじめとして西口を開発しようと。それで、高島屋さんを誘致して、高島屋ストアって当時は言われたんですけど、
西口がだんだん形になってきた。続いてダイヤモンド地下街ができ、昔は駅ビルと言ってましたが、今でいうシァルなど、新たにビルを建てた。
そして高島屋もどんどん増設して大きくなって、高島屋とジョイナスは合体したような形になりましたね。
当時、ジョイナスがオープンした当初は日本のショッピングデパートでは一番の売り上げがあったんです。
年間500億円以上売ってた、商店街としては、今は日本で5番目ぐらいの、まだ五本の指くらいに入る売り上げがあります。
自分が思うには、日常の生活品を買っていただく街に成長したと思うんですね。最近あちこちにショッピングセンターができてます。東口にもありますし、最近
また川崎にもできましたね。考えようによってはオーバーストアといわれてますが、お客さんの取り合いで、あちこち流れています。近いところでは最近できた
横浜ベイクォーターに人は流れるんですね。
近年は横浜っていうと、みなとみらい地区のどうしても「海」というもののイメージが強いですね。確かにみなとみらい地区にはお客さんはかなり流れている事実だと思います。
ですからこそ、我々は平日、普段の商売を充実させていって、平日はともかく生活必需品をここで買っていただくような、遊ぶのは向こうのほうにまかせて(笑)、そのようなスタンス変えないと、なかなか難しい状態になってきましたね。
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最後に、最近のお客様の印象などを伺えますか
大熊:そうですね、他店のハンコ屋さんとは違って、私は自分の白蹊という号を売りにして自分で彫っているんですが、お客さん自体が若くなったせいか「うるさい」
お客さんが減ってきました。自分の商売について言いますと、こだわらなくなってきたんですよ、うちの商品を求めるお客さんがね。
昔はクレームなんかも多かったです。印章っていう手作りで作っている関係でやはりうるさいお客さんや難しいお客さんの注文もあるわけですね。もういっぺん
やり直すことになるとか、文字に対するもののこだわりとか薀蓄とか、モノの「こだわり」、ですね。要するに今の若い人よりは、逆にいえば知識というか文化
度か高かったのかもしれない。だから、その商品に対しても我々もより真剣にやらなければ通過できなかったんだけれど、今はクレームとかないんですね。別に
商売としてはいいことなんですけど、ただ、今ひとつね、ちょっと物足らないなあって。気質が随分変わってきた。世の中、こだわらなくなったかなあ。
今の子は漢字を書けないですね、わからない。寂しい限りですね。
聴き手、まとめ:NPO「昭和の記憶」
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