第09話 東京駅
駅の証人に聴く
半世紀以上にわたり東京駅と共に歩み、そして東京駅の歴史をそっと見守り続けた小さなバーがあります。
バー「カメリア」。東京ステーションホテル内に昭和26年からある「列車の音を楽しめるバー」は、
今年3月、東京駅丸の内駅舎の保存・復元工事を機に閉店することになりました。
今回お話をお伺いした杉本寿さん(65)は、「カメリア」で46年間シェーカーを振り続け、
現在も銀座のカクテルラウンジでご活躍されている、現役のバーデンダーさん。
杉本さんが、バー「カメリア」を通して見続けた、東京駅の記憶を語っていただきました。
終戦のときは神奈川県山北町の実家にいました。山北町には昔から鉄道員(ぽっぽや)が多くてね、
私の叔父さんや従兄弟だとかも鉄道の仕事をしてました。私が東京駅のバーで働くようになったのもなんかの縁ですかね。
自分が鉄道の仕事をやろうとは考えませんでしたけど...。
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うちの隣の人が箱根富士屋ホテルに勤めていてね...。
戦後新しく改装した東京ステーションホテルのコーヒーショップでマネージャーをしていて、その人の紹介で、
東京ステーションホテルで働き始めたんです。 |
カメリアのオープンは昭和26年で、私が働き始めたのは19歳ぐらいの頃、昭和35年からかな。
そこのチーフだった人は、高田さんっていって僕の仲人をやってくれた人だったんだけれど、その人は、
満鉄が大連で経営していたヤマトホテルでバーテンダーをやっていた人だったんです。
上下関係の厳しい世界でしたからね、最初は話せなかったです、チーフとは。
カウンターにも入れさせてもらえませんでしたよ。「氷もってこい」なんていうことから、「タクシー呼んでこい」
「切符買ってこい」なんてことまで色々と雑用をして、まあ最初はそんなもんでしたね。
お客さんの切符を買うのも仕事のうちだったんです。
「タバコ買ってこい」と言われれば、タバコ買いに行きましたし、バーテンダーというよりはボーイの仕事でしたね。
それから、今はどこのホテルにもあると思いますが、東京ステーションホテルにも宴会場があって、
そこで使うお酒というのも全部バーから出るんですね。そういうお酒の用意も仕事のうちでしたから、
最初はそんな仕事ばかりでした。シルバー(銀食器)を磨いたりとか...。
シェーカー持てるようになるまでには三、四年かかりましたね。先輩が休んだときなんかに、たまに振らせてもらったりして...。
仕事を始めた当初は、「バーテンダーなんていうのは、暗いところでお酒を飲んでタバコを吸って、ろくなもんじゃない、
はやくやめなさい」っておふくろによく言われました。実際はそうじゃないんですけどね。
その当時はバーやバーテンに対する認識っていうのはそんな感じでしたね。当時はバーの数も少なかったでしょうし。
バーテンダーに対する認識が変わったのは、ここ20年ぐらいなんじゃないですかね。
駅の中のバーですから、電車の時間待ちっていうお客さんは多かったですね。だから、お客さんの出入りが速かったです。
ホテルの泊り客よりもそういったお客さんの方がはるかに多かったですね。
電車を待つお客様への配慮から、カメリアの時計はあえて5分早く進めていました。
これは創業当時からの伝統で、ずーっとそうだったみたいです。誰が始めたのかは分からないんですけど...。
それから、これもカメリアならではなんですが、カメリアではBGMを流しませんでした。
私があまり音楽を聴かなかったというのが大きな理由ではあるんですが、昔は今みたいに立派なオーディオ設備も無かったですしね。
あと線路がすぐそばにありますから、音楽を流してもあまり聞こえないっていうのもありました。
逆に、音楽を流さないことで、列車の行き来する音がよく聞こえるっていうんで、特に鉄道ファンの方なんかの間では「列車の音を楽しめるバー」ということで、話が広がりましたけど...。
実際、バーの設備としてオーディオが必要不可欠かというと、そうでもないですからね。
床屋さんなんかでもはさみが動く「シャキシャキシャキシャキ」なんていう音は気持ちいいものじゃないですか、
純粋にただ仕事をしているときに自然に発する音というのは...。結局BGMは閉店までかけることはなかったですね。
列車とシェーカーの音がBGMみたいなもんでした。今は、音楽の流れていないバーの方が珍しいぐらいですから、
そう考えると珍しいかもしれませんね。
46年間、ほぼ半世紀にわたってカメリアでシェーカーを振っていましたが、色々なお客さんが来ましたよ。
昼の時間なんかは丸の内の商社のお偉いさんなんかが来てましたね。
重役の方は時間に縛られないですから。昼のお客さんがいないバーで人事の話なんかしていましたよ。
お客さんで多かったのは、駅の時間待ちの人と、近くの商社の方。
でも昔は、今みたいに若い人たちが来るということはあまり無かったですね。
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今は、若い人でも気軽にバーに入りますが、昔はホテルのバーっていうと、やっぱり若い人が気軽に入れるような感じではなかったですね。
昔はバーというのはフォーマルな場だったんですが、それがカジュアルになったというか...。
よく言えばバーの敷居が低くなった、バーがお客さんにとって身近になったということなんでしょうけど。 |
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昭和39年の新幹線開通にあわせてにオリジナルカクテルを作ったんです。実際に作ったのは昭和40年なんですが...。
39年当時は日本にいなかったんですよ。ニューヨークで修業をしていましたから。40年に日本に帰ってきたら、
新幹線開通のメニューを作るっていうから、それで「こだま」と「ひかり」というカクテルを作ったんですね。
メニューに常に載せていたわけではないんですけど、つい最近でもこのカクテルをご存知で、
注文されるお客様はいらっしゃいましたね。 |
「こだま」「ひかり」を作ったあとも、お客さんから「この電車のカクテルを作って」なんていう要望があると作ったりしましたね。
「こんなもんでどうでしょう?」なんて言って(笑)、リクエストがあったその場で作ってしまうんです。
一番よくできたオリジナルが、「あさま」開通のときにつくった「あさまマティーニ」。あれは人気でしたね。
冷やしたジンに梅酒を入れて、種の抜いた小梅をオリーブの代わりに使ってね。あとは「東京駅」。
東京駅開業の75周年記念にあわせて作りました。人気はあったんですけどね、実は作るのが結構大変だった(笑)
カメリアの閉店が決まったときは、私はともかく、「お客さんどうするんだよ」って思いましたね。
閉店することをお客さんに告げると、常連さんたちには「俺、どこ行ったらいいんだよ」っていうことをよく言われましたね...。
まず、お客さんが困っちゃうなあって思いました。バーに思い出がたくさんあるお客さんもいますしね。
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46年間、ほぼ半世紀にわたって一つの仕事を続けてこられたのは、やっぱりお客さんがいたからですね。
負けず嫌いなところもあったのかもしれないけど、やっぱりお客さんの励ましがあったからだと思います。
好きじゃなければ続かないですけど、好きなだけではもたなかったと思いますよ。 |
聴き手、まとめ:NPO「昭和の記憶」
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