第12話 高松駅
駅の証人に聴く

高松駅前は今や巨大なビルが立ち並びます。駅舎・ホテル・シンボルタワー・ショッピングセンター。複合化されたビルを見上げるように、古いお店の残る一角
があります。旅館万喜屋さんは、その仲でもずっと駅を見続けてきました。今回は駅前旅館万喜屋のご主人と奥様から、連絡船のあった当時の高松駅前の様子を
伺いました。
高松駅も今はガラス張りの立派な駅でしょう。でもね、以前の駅舎のほうがよかったですよ。前の駅舎は一言で言えば、情緒がありました。そして高松も活気がありました。
今は高松の経済っていうのは地盤沈下っていう状況でね。かつては高松っていうととにかく「四国の玄関口」だから。今でもそうには違いないんだけれど、活気が違ったですね。そうだね、今の3倍とまでは言わないまでも2倍以上の賑わいがありましたよ。
昼間なんか、駅前を見てもらえばわかるけれど、人もまばらでしょう。かつては平日でもかなりの人で、お昼を食べる場所がないくらいだったんですよ。
それがね、瀬戸大橋が出来てから変わりよりましたよ。最初の年はよかった。最初の年はもう、すごい人、観光のお客さんで賑わってねえ。私たちも岡山から車
に乗ってみたけれど、もうすごい渋滞で全く車が動かないほどでした。でも次の年から明らかに観光客は減っていきました。最初だけだったんですよね。
元々、高松が四国の玄関口って呼ばれていたのは、四国の各地、愛媛やら徳島やら高知へ行くためには、必ず連絡船で高松に降り立つわけですよ。そこからそれ
ぞれの場所へ行くので、必ずこの駅を通っていった。それが今は3本も橋ができて、四国に入る人の流れが分散してしまったんです。それまでの玄関口から、通
過地点になってしまった。徳島なんか、(明石海峡大橋を使えば)直接大阪へすぐ行けちゃいますから、通過すらしなくなってしまった。
でもね、だからといって四国に人が多く来てくれることはなかったです。むしろ出ていくほうばっかりで、しなまみ海道だって最初だけでもう全然車もいませんよ。
5年前に高松駅も新しく変わりました。
県や市、あとJRなんかが引っ張って駅の周りを変えちゃったんですよね。
それは人をたくさん呼ぼうっていう、気持ちがあったのはわかるんですよ。でもね、やっぱりローカル。東京や大阪と違って視野が狭いんですよね。
どういうことかって言うと、高松駅を出ると大きなホテルができたでしょう。
あれは駅前の再開発の中でJRが資本を入れて作ったんだけれど、我田引水なんですよね。駅を出てそこへ人を流そうとしているのがわかっちゃう。
ショッピングセンターなんかもできて、そこで完結させようとしているのかな。それ以外の街の経済が沈んでしまう。街が沈んだら、それこそ人が来なくなってしまうというのにね。
あと、駅の位置なんですけど、わかったかな?今の全日空ホテルのあるあたりが、前の駅のあったところなんだけれど、前の駅舎は東向きだった。玄関なんかも
よく東向きに作るっていうでしょう。駅を降り立った人は、ぱーっと開けた街、そして目の前の玉藻公園を見るんです。そして観光に出かけていく。
今の駅の向きは逆を向いている。そのせいか、駅を降りると、自分がどこにいるか全くわからない。地元の私達でも、迷ってしまうくらいです。ましてや駅前から街や玉藻公園なんか、一切わからない。
ガラス張りでキラキラした新しい駅前なんだけれど、横浜のみなとみらいとか意識したのかもしれないけれど、その土地ごとの良さみたいなのを出さないから、
むしろ若者が離れてしまってる。古い建物を使って喫茶店をやってるところがうまくいくような、そういう感覚がないんですよね。
昔の話に戻すとね、今の人はわからないだろうけど、連絡船ってのは情緒がありました。学校を出てね、大阪や東京の大学へ行ったり結婚したり、そういうとき
には必ず船で出るんですよ。門出や新婚は、連絡船がなくてはならない。見送る人がたくさん出てね。見送りの紙テープがわーっと船を結んでね。ドラがばー
ん、ばーんって鳴って。それは盛大でした。そうして四国のものは船出をしていったものですよ。
連絡船には汽車も積んでね。今では信じられないですね。
そういえば昔、紫雲丸事件ってあってね。紫雲山っていう山の名前を取った連絡船があったんですよ。それが修学旅行生を乗せていたんだけど、春先の霧――春
の霧は深いんですよ――で視界がなくって、連絡船同士がぶつかって沈んだ事故があったんです。当時は船室が何階建てかになっていて、学生さんなんかは、底
のほうの畳の部屋に寝たりしたんだね。それがお土産を取りに戻った学生さんが助からなかった...。
その頃からかなあ、連絡船を廃止しようっていう動きが出てきたのは。
そうして橋の工事がどんどん進んでいったんだよね。
でもね。大抵の人は以前のほうがいいって言いますね。10人に聞けば8人は前のほうがいいって言いよるんですよ(笑)。
昔は高潮が店にまで入って来ることもあって。それで大事な写真やらなにやら濡れちゃってもうあまり残ってないけど、連絡船の写真だけは取っておいてありますよ。
昔は本当に情緒があったですよね。
聴き手、まとめ:NPO「昭和の記憶」
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