第08話 新宿駅
駅の証人に聴く
佐々木清喜さんは昭和25年11月28日生まれ。宮城県のご出身で、昭和41年に集団就職により上京しました。現在は新宿駅東口にある青果店・百果園新宿
店の店長をされています。有楽町店、高円寺店を経て、昭和57年より新宿店に勤務。以後、今日まで20年以上にわたり、新宿駅とその周辺の変化を最も間近
で見てこられました。
─
百果園が新宿でご商売を始められたのは、いつ頃からですか?
佐々木:
新宿店は昭和42年の4月からですから、商売を始めてもう約40年ですね。
─昭和42年ということは、新宿騒乱事件が起こる前年ですね?
※)新宿騒乱事件
昭和43年10月21日の国際反戦デーに、日本全国で国際反戦統一行動として、基地撤去・米タン反対・沖縄奪還の闘争が展開された中、反戦青年委・中核派・社学同・ML派・第四インターなどが、新宿駅で闘争を繰り広げた事件。
佐々木:そうですね、翌年には安田講堂事件などがありました。僕がこの店に来たのは昭和57年頃ですが、開店当時から働いていた人に、その頃の話は聞きましたよ。
新宿駅の東口前に、線路に沿って映画などの看板が並んでいる場所があるんですが、昔はそこに金網があったようです。しかしながら、新宿騒乱の頃は、投石に
使うために、みんな金網を乗り越えて、線路の敷石を取っていたらしいです。敷石がほとんど無くなったと言っていましたね。うちの店も全部シャッターを下ろ
していたんですけど、だいぶシャッターがへこんだようです。まあ、被害はそれぐらいですんだようですが......。
僕がこの店に来た昭和57年頃は、アルタのビルが建って間もない頃だったと思います。アルタが建つ前には、三越の100%子会社で「二幸」という食品専門の大きなショッピングセンターがあったそうですよ。
─私はアルタができてからの新宿の風景しか知らないのですが、だいぶ駅前も変わったんですね。新宿駅の建物自体については、大きく変わりましたか?
佐々木:
ここから見た駅の景色はあまり変わらないですね。建物もそのままですし、外観が変わったという記憶はないですね。もちろん中はずいぶん変わりましたけ
ど......。駅の改札も便利になりましたね。昔は改札口に8人ぐらい切符切りがいて、凄いスピードで切符を切っていましたね。聞いた話だと、あの切符切りは
30分おきに休みを取らないと、手がもたなかったらしいですね。30分切符を切り続けたら1時間休む。また30分切符を切る......、そんな感じだったらしい
です。
─
佐々木さんがこのお店に来られた昭和57年と比べて「変わったな」と実感されたことは何かありますか?
佐々木:今の新宿には、コマ劇場に芝居を見に行くお年寄り以外は若者しかいない。でも、昔はそうではなかったですね。いいバランスで様々な世代の人間が、この街に
は集まっていたと思います。それに昔のほうが街の雰囲気がゆったりしていましたね。僕は安保闘争の波が落ち着いてからこの店へ来たものですから、その頃は
新宿の街もわりとゆったりした雰囲気だったんです。
─
私は新宿というと、落ち着いた街というよりも、色々な意味でエネルギーに満ち溢れた街というイメージを以前からもっていたんですが、そういう時期もあったんですね。
佐々木:ええ、そういう時期はありました。でも、やはりバブルの頃はすごかったですよ。バブルの頃を境に、落ち着いた街の感じが少しずつ失われていったように思い
ますね。それと、他人同士が話をするということが、昔と比べて少なくなりましたね。今、若い人は若い人同士でしか話をしない。違う世代との会話がないんで
すね。
─
安保闘争の時期を経て70年代に一度落ち着いた街も、バブルの到来で再び熱を帯び始めたんですね。安保闘争の60年代と、バブル期の80年代にこの街に渦巻いていたエネルギーの違いは感じましたか。
佐々木:
ええ、ちょっと異質なものだったと思いますね。安保闘争の時期に若者が発していたエネルギーは、全員が全員ではないにせよ、社会的なイデオロギーに基づいたものでした。しかし、バブルの時期に若者が発していたエネルギーは、個人主義に基づいたものだったような気がします。
─
お客さんは街に遊びに来ている通りすがりの人が多かったのではないかと思うのですが、新宿駅に勤めている方なんかもお客さんだったんですか?
佐々木:昔は国鉄の方もよくいらしたようですね。ストの時にはしょっちゅうバナナを夜食替わりに買いに来ていたみたいです。今ではJRの方がいらっしゃることもな
くなりましたけど......。開店当時は安くて栄養価が高いということで、バナナがすごい人気でした。店の棚の半分以上がバナナだけで埋め尽くされていたことも
あったようですよ。ちょっと想像できないでしょうけれど。
─それだけ積んでも売れてしまったわけですよね?
佐々木:
この店は、地下にも倉庫があるんですが、そこにバナナをぎっしり入れて、それでも足りないという感じだったようです。
─
昔は顔なじみの常連さんが多かったんですか?
佐々木:そうですね。昔から来てくださっている方も結構大勢いまして、季節の節目に贈る果物を、よく買いに来てくれます。ありがたい話ですね。ただ、その方たちの
次の世代ということになると、常連さんという感じのお客さんはあまりいないですね。お中元やお歳暮の感覚というのも、若い世代になるほど、無くなりつつあ
りますし......。この店は開店当時のまま、今も変わりはないですが、そういった点では変わったなと思います。
─
百果園の建物は、昭和42年の開店当時のままですか?
佐々木:そうですね、中に鉄骨を入れて支えたりはしているんですが、それ以外は開店当時のままです。老朽化はしていますが、こうなったら直すよりも、この開店当時の形のまま残していきたいですね。
─
新宿駅東口から見た風景の中で、昔から変わりなく目に映るのは百果園さんの看板だけなのでは?
佐々木:
そうでしょうね。「二幸」もアルタになってしまいましたし。ビルの看板なんかも目まぐるしく変わりますけれど、うちだけは変わってないですね。あと、この
近所で変わらないものといったら、「アカシア」のロールキャベツの味ですかね。でも、あとは本当にみんな変わってしまいましたね。
─
佐々木さんが新宿の街、そして新宿駅前の変化を20数年間見つめ続けてきて、今と比べたときに、「昔のほうが良かった」と思われるようなことはありますか?
佐々木:正直な話、五分五分ですね。今のほうが便利ではありますけれども、気持ちの上ではやっぱり昔のほうが良かったなと思うことはあります。私がここへ来た昭和
50年代のほうがゆったりした気分でいられました。昔は他の人と言葉を交わすことも多かったですし。今は自分の言い分が通らないと「フンッ」とそっぽを向
いてしまう方が多いですから......。
聴き手、まとめ:NPO「昭和の記憶」太田
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