第01話 下関駅
駅の証人に聴く
斎藤哲雄さんは昭和4年6月22日、山口県下関市生まれ。昭和22年に国鉄に入り、以来37年間勤め上げました。下関駅勤務時代は、出札を中心とした業務に携わりました。現在は、下関駅の歴史の研究に勤しまれ、その成果は、『下関駅物語』、『下関駅百年』としてまとめられています。
下関駅は本連載にぜひとも盛り込みたい駅の一つとして、昨年末予備取材のために訪問していました。その際、副駅長・野上さん、下関駅弁当の荒瀬さんに面会し、いろいろと興味深いお話を伺いました。それから10日後、駅は放火による火災によって焼失してしまいました。
斎藤さんと焼け落ちた駅を訪ねました。「ショックの一言で、何も言い表すことはできません」長年慣れ親しんだ駅の無惨な姿を前に、斎藤さんは言葉少なげ。今回は、斎藤哲雄さんから、下関駅での出札掛の思い出を伺いました。
─下関駅に移られたのはいつですか?
斎藤:昭和34年です。昭和22年に17歳の時、国鉄に入って、最初は幡生駅におったんです。その後、小野田駅に10年ほどいまして、それから下関駅に来たんで
す。(小野田よりも近い駅を希望していたら)やっと「下関駅の出札が空いとるが、どうか?」とね。私は商業学校を出ているのでそろばんの方は自信があった
ので、出札掛をやっておりました。国鉄は、切符を売る人は出札掛、切符を切る人は改札掛というように仕事によってしっかり分けられていたんですね。
─
1日の勤務はどんな感じでしたか?
斎藤:朝は8時30分に出て、翌朝の8時30分までの24時間勤務。そして翌日は休み。そしてまた24時間勤務というように徹夜非番、徹夜非番の一昼夜交代制で
した。夜中に仮眠を取るんですね。早寝、遅寝の交代で4時間ほど。早寝の人は10時から2時まで、遅寝の人はその後。きつかったですが、それよりも盆や正
月に忙しく、みんなが休んでいる時に働く方がきつかったですね。でも、今のような(休みを自由に取ることができる)身分になってみると、なぜあれだけ正月
休みが欲しかったのかわからない(笑)。
─
鉄道職員の皆さんは一般の人が休みの時に忙しくなりますからね。
仕事もたいへんだったのでは?
斎藤:ええ、当時は「弁納」という制度がありましてね。私たちは出札掛ですから、切符の売上を終列車が出たら計算するんですが、これがけっこう合わないことがあ
るんです。計算が合わない時は、原因がわかるまで何回も何回もチェックやらないけん。それでも合わないと給料から弁償せないけん。これが弁納。月当たり
2,000円とか3,000円になることもありました。中には2万円、3万円になっている人おったんですが、2万円、3万円といえば月給と変わらない。で
もその人はケロッとしとる。家がお寺で暮らしには困っていなかったようで、金銭にクヨクヨしないと言っていました(笑)。
─
そんな制度があったのですか。
斎藤:もっとも売上に応じて手当――売上手当が出たんですが、月に500円とか600円くらい。それより弁納の方が大きくなることが多いので泣かされました。今
はコンピュータだから間違いも少ないでしょうが、私らの時はせいぜいそろばん。それに自動券売機もなかった。いつも長蛇の列ができておって、いかにお客を
掃かすかについてはいつも考えていました。掃かし方がへたやったら仕事になりませんから。こういう割に合わない仕事ですから、「俺は出札掛はせん」と拒否
する人もおりました(笑)。
─
失礼なことを申し上げるようですが、こういうお話を聴くまでは、出札掛って楽な仕事だと思っていました。
斎藤:暑さ寒さ知らずやろうなんて言われますが、そんなものじゃありませんよ(笑)。たいへんな仕事だったんですよ。昭和30年代、40年代当時は、日曜日の午
前中、小倉に出る人が殺到するんです。九州(方面の窓口)は7番、8番――1番から3番はみどりの窓口、5番、6番は山陽東海道、9番、10番が山陰の窓
口というように分けられとったんですが、小倉行きの切符はたくさん出るんで、すべての窓口で買えるようにしたんですね。多い時は、ひと窓で1日6,000
枚ぐらい売れました。こういう時は、あらかじめ日付を入れて、200枚、300枚手元に用意しておく。混雑する駅はどこでも何か工夫しとったと思います
ね。
─
6,000枚! 12時間かけて売ったとしても1時間あたり500枚。1分あたり8枚ということになりますね。
斎藤:出札掛はお金を扱うという点では、銀行員や郵便局と同じですが、あの人たちと私らが違うのはスピードと正確さを同時にやらないけんということです。お客に
急かされながら、発車間際に駆け付けて「汽車、間に合わんぞ! どないしてくれるか!」「早せえ、間に合わんぞ」と怒鳴られることはしょっちゅうで、窓口
がダンゴ(=長蛇の列)にならないように、右でお金をもろうて、左で切符を出すようなこともしていましたよ。
─神業ですね。
斎藤:年間通じていちばんたいへんやったのはやはり年始でしたね。九州の故郷におった人が下関にやって来て、ここから列車に乗ろうとするんですね。ご存じかと思
いますが、下関は交流と直流の分かれ目の駅なので、直流専用の特急電車は下関までは下がって来れるけど、九州までは入れんわけですよ。(博多など九州から
の直通列車は少ないため)下関駅始発の特急が多かったんです。「はと」とか「しおじ」とかですね。
お客さんは帰りの指定券を持ってないと、みな下関に行くんですよ。下関に行ったら、自由席は座れる、指定券も買いやすい。だから、お正月はずいぶん忙しい思いをしました。初盆の人とか契りごとのある人以外は全員出動態勢です。
私たちの正月というのは、正月輸送が済んでから(笑)。こういう混雑する時は、100円札が山のようになって、机の引き出しが一杯になって、溢れ出しそう
になっていました。そうなっても数える暇もない。それを夜、8時頃になると勘定するんですね。夜の7時半か8時になると、売上計算をするんです。切符に書
いてある番号――残存番号というんですが、それをお互いに読み上げながらチェックしてから引き継ぐんです。売上計算をパチパチそろばん弾いていると、その
うち間違いが見つかって、「あっ、損した!」なんて......(笑)。そうなると、寝る間も惜しんで再計算する。
─
正確さとスピードの両面が求められるんですね。
斎藤:
なんでそんなに時間がかかるのかというと、国鉄には割引制度がとても多いんです。季節割引とか学割、身体障害者割引、あと戦傷者割引というのもあって、さ
らにそれが割引率によって何段階にも分かれておったんです。それともう一つ、小児断片というのがあって、子供の切符をはさみで斜めに一部を切り落としたも
のですね。それが小さくてよう無くなるんですね。大人2人、子供2人という場合、大人の切符2枚に、小児断片が2枚出るでしょ。それに学割がかかってなん
てことになると、計算が多いですよ。
今はコンピュータですから、そんなに間違いはないでしょうが。でも自動券売機にようけ並んでいるのを見ると思いますね。あれで年寄りがどこまでいくらで、
なんて調べながら買っているのを見ていると、昔の出札のが良かったと思います。1枚買う間に、5枚も売っていたのですから(笑)。
聴き手、まとめ:NPO「昭和の記憶」
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