駅の記憶

第04話 鎌倉駅
駅の証人に聴く

  • listen_mainimg.jpg高柳英麿さんは昭和8年2月4日生まれ。生まれも育ちも鎌倉です。今も駅前のビルの経営者として、鎌倉を見守る高柳さん。著名人が集まる街、歴史と文化の街として名高い鎌倉の今と昔を伺いました。

    高柳: 横須賀線の敷設は、明治22年の6月16日。現在、米軍の基地がある横須賀に、日本の海軍が基地をつくったことから、軍用線というような位置付けだったんです。

    明治時代には、蒸気機関車が走っていましたが、それがチョコレート色の車体の電車に変わりました。日本の電車のはしりです。

    もちろん、当時は今みたいなアルミではなく、鉄でつくった電車でした。横須賀線が敷設されてから、文化人や実業家がどんどん集まってきました。

    東京や横浜で事業をしている方が、「海風が健康にいい」ということで、鎌倉に保養の別荘をつくったのです。そして、その別荘に絵描きや作家といった文化人 が遊びに来て。それで、かつての歴史ある鎌倉のイメージが確立されて、人口も観光客が増えていいたんですよ。夏目漱石や芥川龍之介の記述に、明治時代の風 景が見られます。

    ─ 「海風が健康にいい」というのが発端だったんですね。

    高柳: そうなんですね(笑)。
    鎌倉の街区のつくりは、800年前と同じなんです。というのも、今の人口は大船まで入れて17万人なんですが、この市内だとだいたい6、7万。地方から武 士や雇人が来ていた。そういう人たちが館を建てたから、鎌倉時代はいっぱい住居があったんですね。つまり、人口密度が高かった。それが今も変わらないの で、自動車の交通を考えた街づくりというのができないんです。だから、渋滞がすごいわけですよ。

    ─ そうなんですね。昭和に入ってからの鎌倉駅は?

    高柳: 第二次世界大戦のときは、駅前は軍人の送迎で人が集まり、電車もラッシュを除いた日中は30分に1本くらいでした。鎌倉駅には爆撃の影響はありませんでした。

    ─ 戦後はいかがでしたか?

    高柳: 昭和30年ごろから、首都圏を中心に、地方から集団移住でたくさん人が出てきたわけですが、それによって神奈川県の人口がどんどん増えました。その影響 で、観光客も増えました。歴史的なものが破壊から崩れていくのを防ごうと、川端康成とか大佛次郎(おさらぎ・じろう)といった人たち、それからお寺のお坊 さんたちが立ち上がり、話題になりました。「鎌倉風致保存会」もできました。

    今年がちょうど設立40年。昔、文化人が立ち上がって署名運動をしたりお金を出し合ったりして、八幡宮裏山の土地の開発を止めたこともありました。

    ─ 高柳さんご自身の、子どものころの思い出は?

    高柳:当時、僕なんかが育ったころは、鉄道は一番のハイテクだった。だから、駅に停まる電車の下をくぐったりして遊んだものです。線路に釘を置いたりね。電車が 通ると、釘がつぶれて磁石になるから。あとは、線路に耳をつけて、遠くから来る電車の音が聞いて、近くまで来ないうちに逃げたり(笑)。今考えると危ない けれど、昔はのどかでしたからね。そんな思い出があります。

    ─ 鎌倉駅といえば、三角屋根と時計台ですよね。これは昔から変わらずですか?

    高柳: 鎌倉駅は明治22年にできたんですが、そのときからしゃれた洋風の建物ができて、大正時代には中央線の国分寺駅にも似たような、時計台のあるしゃれた駅になっていたんですよ。

    ─ 鎌倉駅は明治22年にできたんですが、そのときからしゃれた洋風の建物ができて、大正時代には中央線の国分寺駅にも似たような、時計台のあるしゃれた駅になっていたんですよ。

    高柳: ここの沿線では、横須賀の軍港で進水式をやっていましたから、天皇陛下が横須賀線に十数回乗ってみえました。それで、横須賀線は品格があったんだと思います。

    天皇陛下の「御召し列車」という言葉がありますが、当時は代々木の駅から、専用の列車で横須賀までお見えになっていました。今は代々木の特設ホームも使われなくなりましたが。

    葉山御用邸の入り口の逗子駅は階段の上り下りがなかった。平らなわけです。従って、横須賀駅もフラット。つまり、そこに赤い絨毯をひいて、電車からすぐお出になることができた。

    天皇陛下がお越しになるときは、改札口まで取りはずしちゃったというほど。もちろん、陛下は切符なんかお買いにならないわけですし。そうした皇族の方々を見かけることもありました。

    駅には、和服の着流し姿の川端康成や大佛次郎が見掛けられましたよ。それに、大船に松竹の撮影所があったから、田中絹代とか、女優さんが駅に出入りする情 景を見たことがあります。最近は、鉄道を使う有名人が少なくなったからあまり見かけませんが。強いて言えば、「みのもんた」さんぐらいかな(笑)。

    横須賀線100年を記念して本を作りましたが、平成20年の120年の時にも本を作ります。

    聴き手、まとめ:NPO「昭和の記憶」

皆様の投稿をお待ちしております

駅の記憶では、みなさまより駅にまつわるお話を随時募集しております。懐かしい思い出話、駅の以外な一面、心あたたまる話など、ありましたら駅の記憶までご投稿ください。
みなさまのご投稿をお待ちしております。

[必須]
[必須]

[投稿規程]

  1. 採用された原稿の著作権は、原稿を執筆・投稿された本人に帰属いたします。また、採用された原稿の使用権は当サイトに帰属することとします。
  2. 原稿の採否は,当サイトが決定いたします。公開する際には当サイトの判断で原稿の修正・加筆などをお願いする場合があります。当サイトで原稿に修正・加筆などを行う場合もありますのでご了承ください。

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: 第04話 鎌倉駅 駅の証人に聴く

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://blog.ekitan.com/kiokumnt/mt-tb.cgi/319

▲ページの先頭へ